かんざえもん

文章を書いている間の脳みそのドライブ感を楽しみたいブログ

腰/やりたくないことの続き/生産としての人生を望む/知的好奇心の充足

 

腰が痛いなぁ。筍掘りで筍を根から切り離すときに、けっこう根を突いたり、石を突いたりして、反動が腰に伝わっているとかして腰が痛い。シンプルに肉体労働というのは腰を痛めやすいものであるというのも原因している。腰のヨガのようなものをしてみてはいるが、どうもそれほど前ほど効果がなくなってきている。ぎっくり腰とか洒落にならないので、日ごろからストレッチをして、身体をほぐしたり、銭湯に行って身体を温めておきたいものである。

 

さて、書くことが何も思いつかない。
したくないなぁと思うことをさらに考えてみる。

一つ思うことは悪しき習慣をなくさなくてはならんなぁ、というものである。スマホ中毒、夜更かし、寝起きが悪いである。もう少し寝起きがよければなぁと思うことはしょちゅうである。正直もはやほとんど諦めているが。夜更かしもまぁ仕方ないみたいなところもある。問題はスマホ中毒である。

僕のスマホ中毒の原因は、SNSの通知にあるのではないかと思っている。特にLINEである。LINEがけっこう気になる系男子である。つまり通知が来ていないか気になってしまう。通知のバッチ①とか②とかなっているのが「報酬」として脳内回路に認識されている。バッチ①の赤色はアラート色で、神経を興奮させる。そしてスマホを開くというのがスロットレバーを回すということになっていて、ドーパミンみたいなことになっている。簡単に得られるLINEドーパミンのせいで、脳みそが短絡的な刺激、快楽に酔ってしまう感じになっている。いわゆるサウザーが言うところの「飴玉」というものである。

人生、なにか特別にやりたいことがなくても、スポーツ、セックス、スクリーンの3つの飴玉をしゃぶっておれば、勝手に時が過ぎ去って、特に何も考えずに死んで行ける。浅くて軽くて表面的な刺激は日常に手ごろに溢れている。スポーツ観戦で自分と関わりのない人間のやりとりを見て一喜一憂して時間をつぶしたり、手ごろに湧いてくる性欲を娯楽的に消費したり、感情移入させてくれる面白い話を見せてくれるスクリーンを見ていれば、消費の人生として終了してゆける。

それはそれでいいと思うし、大多数の人はそんな感じで人生送っていると思うのだが、こうして自覚してしまうと、それ以外の生き方をしている人もいるのに、そしてそちらの人生の方が面白そうなのに、どうしてそっち側に行けていないんだろうという気になってくる。これは洗脳か?でも漫画を読むよりも、漫画を描く方が面白いというのは体感として残っている。

だから消費としての人生よりも、創造とか生産としての人生を望むのは自分的には理に叶っているし、願ったりなところである。ブログを書いているのも、本を読んだり、人の書いたものを読むだけの消費の生活に少しでも対抗するためなのかもしれない。僕の価値観として、「生産的な人生を歩みたいな」というのがあるようだ。確かに、お百姓さんしてるのも、ただ野菜を食べるだけではなく、野菜を生産したいという思いがあるからかもしれない。ただ肉を食べるのではなく、獣を殺して、解体して、捌いて、精肉を作り出したいのかもしれない。獣を生産することはさすがにできない感じがするけど。

野菜やらを生産するのもいいのだけれど、頭脳労働的に生産するものも欲しいというのがある。生産すればそれでおっけーというわけではなく、何か高い評価を得られたらなと思わずにはいられないのは本音であります。でもそれほど強い欲求でもないから困った。漫画なぁ。漫画を描いていないとずっとこんな感じでモンモンとしているんよな。なんなんだろう。描けよwしんどいけど。

 

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物理学やクラシックや地学などのYoutubeチャンネルをチャンネル登録したりして、思っていることは、そういう教科書的な知識を頭に入れていくことはもう学校で随分としたし、もう少し違うことがしたいな、ということ。どうなのだろう。数学を高校、大学、大学院と学んできたけれども、どうなのだろう。何が成功して、何が失敗だっただろうか。落合陽一が「勉強は教科書を読む作業、研究は教科書を書く作業」と言っていた。Youtubeの動画を観て、知識を手に入れて、可能になることはテストの点数が上がるということではなかろうか。予備ノリも地学の人のも、学校の授業の補足的な授業で、目的は学校というミニゲーム内の定期テストというミニゲーム内でのテストの点数の取り方みたいなテクニックである。社会に出ると、別のミニゲームになるから、学校ゲームでの高得点の取り方はそこまで必要ではないし、僕としてももう少し違った結果をもたらす勉強の仕方がしたい。知的好奇心を満たすという目的で勉強するということは素晴らしいし、自然だと思うが、教科書を読んでいるだけでは、正直、知的好奇心は浅く満たされるにすぎない。

たとえば、地学の河岸段丘の説明だが、川がくねってくねって平野ができて、隆起で斜面が急になり、川が地面を削る力が強くなり、、、というわけだが、あれはどういう経緯でそのように理解されたのだろうか。どういう調査、どういう仮説の元で、どういう結果があったから、そのような説明に落ち着いたのだろうか。誰か調査した人がいるわけで、その人は自分の時間と金を使ってそういう知識を得たわけで、そうして初めて知的好奇心は充足するような気がしている。めちゃ遠回りだけれど。

単に運動方程式
 F = ma
と習うよりも、ニュートンという人がこんなことを考えていて、そう考えられたのは昔からこういう調査が行われていて、、みたいなことまで知った方が、面白い。最終的には運動方程式機械的に使って計算するだけだとしても。ブルーバックスに書いてあるようなことこそが知的好奇心の充足に繋がると考えている。じゃあ、ブルーバックス読めよって感じだね。

理系的な本読んでいたら、もっとビジネス的な本読んだ方がよくないかということを考え出してしまうし、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、なかなか定まらんとです。

 

 

 おわり