かんざえもん

文章を書いている間の脳みそのドライブ感を楽しみたいブログ

久々のサウナ/自分の脳内の政治

 

久しぶりに銭湯に行って、サウナに入った。肉体労働者の友、銭湯。やはり体の疲れが随分とマシになった。サウナに入って、水風呂に入って、しっとりと外気浴の世界でたゆたんでいたら、もう一度生まれたような気持になっていた。

サウナの中では心拍数が上がり、血流が良くなり、毛細血管にまで血液が送り込まれていく。そして水風呂に入ると、心拍数は下がっていき、毛細血管は縮こまり、血流は太い中枢の血管を流れるようになる。大きい血管をグルグルと暖かい血が流れ、新陳代謝が加速される。そうして、刺激状態のサウナと水風呂から逃れ、快適な外気浴空間に訪れて横になると、新陳代謝されて浄化した血液が毛細血管を通して体の隅々までドクドクと送られてゆく。その脈打つ感覚が体中に響いていて、とても気持ちがいい。そのドックドックという脈打ちに耳を澄ませながら、外気の流れを肌で感じて、ぼーっとして過ごす。そうしてふと立ち上がると、生まれ変わったような、もう一度産まれたような新しい感覚になって目覚められる。爽快な気分だ。

 

 

####

 

これをしたい、とか、何もしたくない、とか、そういうやりたいことみたいなんが素潜りくらいしか思いつかないのが今の素直な僕の現状である。

一般相対性理論を数式で一歩一歩理解する』という本を買っていくらか読んでみたり、天体観測をしたり、雲をふと眺めたりしているが、それはどうなのだろうね。したいことなのだろうか、という感じもある。非・生産的な事柄をし続けて、死ぬまで何も成し遂げることなく死にたいのだろうか。それでいいと思っている節はある。強い感情が湧き上がってこない、というのはある。

もうその時点で人生そんな感じで終わるという気がする。他に強い感情を持って、欲望やら野望を持って、人生に取り組んでいる人たちからすると、僕に関しては別に何も始まっていない。そしてそれが普通であると思う。みなそれほど確固たる野望なんてそれほどないでしょ。

会社なり職場なりに行って、ある程度決まり切っている仕事を8時間くらいしてお金を稼ぎ、そのお金で美味しい食べ物を食べたり、欲しいものを買ったり、好きな人と過ごしたりして、生活を過去へと送り流してゆく。みんなだいたいそういうものでしょう。僕の周りの人がそういう人間というだけの話かもしれないが。確かに僕がそういう人間だから、僕の周りの人間がそういう人間で構成されているのもうなづける。

それが悪い人生であるとは思わない。向上心には少し欠けているかもしれないが、向上心に欠けていることが悪いわけではない。いや、日々の仕事の中で向上する部分もあるだろうから、向上心がかけているというのも言い過ぎなのだろう。

 

熱中できることが今、見つかっていないということなのである。

ある程度長い時間をかけて、ようやく達成する、そしてその達成した暁にはじんわりと温かくしなやかな達成感が身体をじんわりと温めてくれるような、そんな目標がないのである。

僕のそれは「漫画執筆」であった。大学生のときに、数学を生かした漫画を描こうと思って、遅々とした筆の運びで漫画を描いて、ようやく達成したときの歓喜は上記のようなものであった。それを今一度したい。

音楽を聴きながらそのリズムに乗りながら筆を走らせて、作品を一コマ一コマ描いていく。そうして物語が不器用ながら続いていく。0から1というか、白紙から絵が生み出されるまさにその作業を自分の手が行っているところを最も間近で自分が見ている。

まあそんなたいそうなことではないかもしれないが、そういうことをしていた。「創る楽しみ」があった。

「創る楽しみ」があることって周りにそんなにない。僕は農家でもあるので野菜を作ったりするのだが、野菜を作っているのは太陽と土と水とその野菜自身であって、自分が作っているという感覚はどうにも得られない。もっと木工とかできたらいいのだけれど、いかんせん鑿を握ることを躊躇してしまったりして、なかなか行動に移せていない。行動に移せていないこと多し。優柔不断なんかな。なんでもやってみればいいのにね。

即断即決することと優柔不断であること、どっちが得なんだろうか。さっさと決めてしまった方がいいのではなかろうか。どうしようか悩むより、決めてどう実現しようか考えた方が生産的であると思う。優柔不断なのは、自分の価値観が定まっていない、あるいは優先順位が整理整頓できないことが問題なのだと思う。

物事の優先順位を整理整頓したいので、このブログを書いているみたいなところがある。

物事の優先順位をはっきりさせてゆこう。何が一番大切だろうか。やっぱり人間関係だろうか。仁義だろうか。自分の命か、人の幸せか、自然環境保護か、、、。とりあえず、自分のことをもっと大事にしてあげたいなとは思う。けっこう、人のことを気にして、人にいい顔しようとして人の価値軸に自分の軸を寄せているみたいなところがあるような気がする。末っ子気質。おさがりをよく貰うので、人の趣味をそのまま受け入れる性質。それはそれとして、それでは現状困るから価値観を整理してゆかなくてはならない。

自分の価値観は、、自分がしたいことって何なんだろうか。本当にしたいことって、やっぱり漫画描くことなんかな、、と思い続けて、実際漫画を描いてみて、こりゃ大変だ、と思って敬遠している。敬して遠ざけている。漫画を描いているときに思うのは、「①漫画を描く②誰かに見てもらう③感想を貰う④おわり」となって、④以降にどこにも辿り着かないから、①漫画を描くがそこまで意味のある行為じゃないな、ということだ。意味のある行為じゃないから、やっても仕方がないかなぁ、という損得勘定で判断している。損得勘定が漫画執筆をしない理由であり、行動をするかしないかの基準が損か得かというものになっていることに気づく。

 

優先順位を決めていく頭脳労働がめちゃくちゃ面倒だな、やりたくないなと感じている。しかしこの作業を遠回しにしているから即断即決ができないのであれば、きちんと作業するしかない。

 

時間の配分と、お金の配分をどう振り分けるか?という政治を自分の脳内で行わなくてはならない。僕はわりとタヌキ的に生きているところがあり、無法国家で自然のなすがままに生きているところがある。それが外部にも反映されて、政治や法律や経済にあまり関心を示さない生活を送っている。なるほど。

僕の頭の中には国家と同じように、色んな人間が住んでいる(誰の頭の中もそうだと思う)。その状態にあって、その色んな人間が納得するように、予算などを組んでゆかなくてはならない。僕の頭の中という国家を回してゆかなくはならない。国破れて山河在りということで、国が成立しなくても山河はあるから、山河の方が優越しているから山河を大事にしよう、山河に寄り添おうということで、一次産業を仕事にしているという価値観である。なんというか、非常にわかりやすい。しかし、僕のような人間だらけだと恐らく社会はうまく回らないのだろうな。

富国強兵のように、相手国と戦って勝つために国家を編成しようとしていない。僕に戦う相手はとりあえずいないっぽい。何かに勝ちたいというようなイメージがない。

自分がどう考えているかはかなりわかってきた。かなり自然に寄り添った考え方をしている。動物的、野性的である。しかし、僕は人間であり、人間は社会的動物であるがゆえに、動物的な本能と、人間としての本能が矛盾しているところがあり、迷いが発生している。

人間的な「社会集団を尊重したい」という本能と、動物的な「自己利益を大きくしたい」が少し矛盾しているところがある。それは、自己利益の増大と、社会集団の利益の増大が僕の中で矛盾しているからだろう。他人の幸せ=自分の幸せという等式が成り立っていれば、人間的な本能と動物的な本能に矛盾は生じないから、本能に根差した深い動機で行動をしてゆける。だけれども中々そんな賢者みたいな考え方にはなれない。多分、成功の黄金律だとは思うけど。

 

人生の基本原則に立ち返ると、
「①やりたいことを明確化して②優先順位を決めて③やる」
ということに尽きる。

で、いま①のやりたいことを明確化することに困っている。というわけで
①’やりたくないことを明確化する
ということをしてみよう。

 

つづきは次回。

 

 

おわり