かんざえもん

文章を書いている間の脳みそのドライブ感を楽しみたいブログ

タケノコ2020のシーズンを通過してみて、思うことなど

 

 

ごっつしんどい。

 

 

 

こんな重労働をほとんど毎日、ゴリゴリと行うタケノコシーズンは

ヤワで、面倒くさがりで、機械に頼りすぎの華奢な現代人にはできるはずはない。

 

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どんな重労働かを簡単に説明する。

 

まず竹藪はゆるやかな傾斜になっている。

土は粘土質で、水分を含むとかなり重く、

また、でこぼこで、自然の場所なので平らな部分はない。

坂道でも階段はなし。

 

ゆえにここを歩いているだけでもかなりのエネルギーを消費することが可能。

 

で、タケノコを掘る道具「堀り」が約4Kgほどあり、それをずっと持ちっぱなしで4時間ほどぶっ通しでその傾斜を上り下りすることになる。

 

「堀り」はつるはしみたいな形をしていて、柄の木の部分と鉄の部分の長さが同じくらいで非常に持ちづらい。持ちにくいと余計に体力も使う。

 

タケノコを掘るときはその「堀り」をフル活用して、縦横無尽に使用する。4Kgの道具を縦横無尽に自由に扱い続ける。 

 

そんな重労働である。

 

 

昔の人はすごいなぁ。

 

素晴らしく肉体労働であった。肉体、重労働であった。

 

 恐ろしく肉体を酷使した。

夜22時になると疲労と眠気に襲われて起きていられなかった。

 

そうして早寝早起きが勝手に達成される。

早起きして早速、竹藪に出撃して、タケノコ堀り。

 

すごいスケジュールだ。今年は豊作だったから、特に大変だった。

 

 

手の体積が大きくなったと思われる。

握力を使いすぎて。

 

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それにしても、ここ京都、

竹藪が多いなぁと感じる。

 

そして、放置竹林が多いな、とも感じる。

 

こんなしんどいタケノコ栽培を昔の人は、こんなにたくさんしていたのか、、と感心する。体力が無尽蔵ではないか。

 

今や住宅地に近い竹藪はマンションになったり、駐車場になったりしている。

 

無理もないのかもしれない。

 

 

竹取物語があったり、

竹冠(たけかんむり)の漢字が多い(節、第、等、簿、、、)ことから、

竹は古くから日本人、あるいは人間と深い関わりのある植物だったことがわかるが、

今はもうそれほど深い関わりもなくなってきたんだろうか。

 

竹筒、竹竿、竹皮など、昔は竹藪から得られるものが生活用品に使われていたが、

すべてはプラスチックに置き換わってしまった。

 

プラスチック、確かに便利でいいものだけれども、それは最終、ゴミになる。

 

非常に扱いづらいゴミになる。

 

自然の循環の中にはないもの。

 

 

 

 

 

色々話は変わるが、たくさんの人にタケノコを食べてもらって、

どうやらやはり一級品であり、人気は高いし、リピーターは多いし、評判はいいしで、

すっかりこのタケノコには自信を持ってしまった。

 

さすがだ。すごいタケノコだ。

 

 

育てるのはかなりしんどいし、ごっつしんどいし、随分と疲労するがまた来年も頑張っていこう。

 

 

このタケノコシーズンが一年中続くとすると、死んでしまうところであった。

終わってホッとしている、というのが一番の印象である。

 

今年の感想はこのようなものであった。

来年の春までこのブログが続いていたら、今年の春の感想をまた眺めることになるんだろう。

長い間ブログを続けていけばいくほど、その年年の感想が積み上がっていく。

それは奥ゆかしいことではないか。 

 

 

ブログはフルマラソンのようなもので、長い間継続してこそ、価値が出てくるものだと思われる。

 

 

 

 

お世話になりました各位へ。

お世話になりました。