かんざえもん

文章を書いている間の脳みそのドライブ感を楽しみたいブログ

おじろく・おばさについて、他人事だと思えないと思うときがある話

 

日本の昔(今もなお続いているのかもしれないが)の

奇習に、

「おじろく・おばさ」

というものがある。

 

詳細は以下のページにあるが、

https://matome.naver.jp/odai/2138257786959245901

 

要するに、長男以外は、後継ぎに必要がないから、

次男、次女などには奴隷のようなお世話係になってもらおう

というような制度のこと。

 

長野県の某村にて、存在した奇習である。

 

おじろく・おばさの特徴としては、

・希望はない

・不満もない

・結婚しない

・他人と関わらない

・村の外に出ない

・表情がない

・喋らない

・趣味もない

・無気力、無関心、無感動

といった感じである。

 

 

このおじろくという人間は、

家のお手伝いをすることで一生を終えたらしい。

 

特に不平・不満もなく、そして夢も希望もなく、

ついでに社交性もコミュ力も恋愛経験もなく、

趣味もなく、表情もなく、

家の仕事をひたすらにやって、人生を終えたらしい。

 

農家なら、

春夏秋冬

四季折々に仕事の内容は変わるし、

それぞれの年で収穫量やら栽培時期やら開花時期やら収穫期が変わるし、

植物は不思議だし、

普通に飽きずに、むしろ心の中では

怖くて美しくて気持ちの悪い自然をいつくしみながら

けっこう楽しくのほほんと生きていたのかもしれない。

 

人間の集まりの社会とは、関わりを無くして

社会の最小単位=家庭 内で

人間界よりもむしろ自然界に関心を向けて、

生きておったのかもしれない。

 

僕ら他人が外から見るより、はるかに楽しんで生きていたのかもしれない。

そういう可能性もある。

 

 

けれども、一応、

おじろく・おばさ達は何らかの人格障害を持っていて、

やべー奴らだった

という認識がなされている。

 

 

たぶん、

「文句を言う」「愚痴を言う」

とか

「夢を語る」「希望を語る」

とか

「怒る」「泣く」「笑う」

などの人間らしさとかいうものがかなり欠如しているから、

奴隷扱いだとか、思われたのだろう。

 

奴隷ねぇ。

 

 

奴隷か。

 

文句も言わずに、重労働を淡々と続ける様子は、

たとえば長男とかが酒を飲んで、妻としゃべり、おいしい料理に舌鼓を打っている様子と比べると奴隷のように見えるのかもしれない。

 

それはつまりは相対評価、比較評価である。

 

長男に比べると、自由もゼイタクもないから、

おじろくは奴隷的、無気力、無関心、無感動に見える、

そんなところなのかもしれない。

 

上から命令して人をこき使うことは楽しく優越感もあるのかもしれないが、

命令されて実際に手を動かす仕事をしていることも案外、

捨てたものではない現場没入感もあるかと思う。

 

 

たとえば、法隆寺聖徳太子が立てた、と言われるが、

実際にその建築物を建てたのは大工であり、その弟子たちであり、

彼らにとって、法隆寺が立ち上がった時の感動は、聖徳太子のそれとは、また違った趣と感動があったのではなかろうか、と想像される。

 

歴史に名は残らないけれども。

 

 

何はともあれ、

 

 

このまま僕は~~♪

汗をかいて生きよう~♪

ああ、いつだってこのままさ~~♪

 

という感じである。

 

いやほんとに、

本当ですってば。