かんざえもん

文章を書いている間の脳みそのドライブ感を楽しみたいブログ

1日を100%生き切るというキツさ

 

 

最近のタケノコ事情は、

どうももはや出盛り期のピークを過ぎて、

収穫量は緩やかな下降に入っていると思われる。

 

 

掘る側の肉体的疲労も日々、蓄積されていき、

「あー、あー」

と声を漏らしてしまうといった状況である。

 

そんな中、ひょんなことからマジきち先生に無人販売を斡旋されて、

マジきち邸にて、タケノコの無人販売を行ったところ、即売り切れ!!

 

収穫から販売までを行い、

1日に使用できる自分の体力を使用しきって、

体力の限界とともに、寝床について、

就寝する

という

その日1日をやり切った1日が過ごすことができた。

 

100%生き切った1日、という感じだろうか。

 

だが、毎日、100%生き切った日を過ごすというのは、かなり無茶だし、きつい。

 

 

まじきち先生とは、

某時期、某所にて出会い、某筋から某関係になった人で、

なかなか長く生きていはるし、社会的にかなりまともな某職種のため、

近隣住民との関りもきちんと行われているのか、

近隣住民の人々がタケノコを買ってくれた。

 

 

また、近隣住民からの需要の旨が僕の元に届いているので、

またタケノコを堀り、また届けなくてはならない。

 

 

商売的には、嬉しい限りである。

 

 

まじきち先生は、

仕事が人間を作る

というようなことをおっしゃていて、

仕事しろよー的なことを進めてくる。

 

 

「仕事が人間を作る」という意見は示唆に富むというか、

含蓄があるというか

真理を言い当てているというか

一理ある、といった感じである。

 

 

人間は、自分の切実な欲求を叶えた時に、成長すると思われる。

 

仕事をすることで、

お金がもらえるので、

衣食住の欲求が満たされるし、

 

それなりにきちんと仕事をしていれば、

社会のいち構成員として認められて、承認欲求や帰属欲求などが満たされる。

 

そして、さらに、

その仕事で自分のしたいことが実現できたのなら、

自己実現の欲求という奴も満たされることになる。

 

つまり、

仕事は、

生理的欲求、

承認欲求、

自己実現欲求を

満たしてくれる、

最大の処方箋である、

というようなことを何かの本で読んだ。

 

 

 

間違っていない話だと思う。

真実を突いている話だと思う。

 

 

 

仕事はたくさんすれば、するほど、いい

とか、そういうことなのだろうか。

 

 

それはそうなのかもしれない。

 

貰える仕事は喜んでやる、

元気に、「僕はこんな境遇に産まれて幸せだなぁ」っていうノーテンキな感じで

仕事をする、

快活に、元気よく、ウキウキしながら、ハキハキと声を出して、仕事をする、

まじきち先生のように、いささか服従しすぎじゃないの?って感じで、仕事をする、

 

そんな感じで、仕事をするのが、もしかしたら、いいのかもしれない。

 

 

みんながしたくない嫌な仕事を、卑屈さを微塵も感じさせずに、喜んで、

飼い主に尻尾を振る犬のごとくやる人間は、

社会では重宝されて、感謝されるという気はとてもする。

 

そしてお金も入る。

 

 

しかし、今の社会、

みんながやりたくないことは機械に置き換わられつつあるし、

みんながやりたくないことを率先してやる、

というものへの価値は下がっているのかもしれない。

 

嫌なことは機械にやらせるっていうわけだ。

 

今は、みんながやりたいようなことを見つけ出し、

それを提供する、

という方が大事なのかもしれない。

 

やりたいことは人間が見つける、という話だ。

 

 

 

そんなこんなで、

やっぱりジョジョ4部はいいな、面白い。