かんざえもん

文章を書いている間の脳みそのドライブ感を楽しみたいブログ

天国と地獄とダサい外見

 

 

 

今日もいち百姓として、

肉体的に、現実的にフィジカルに労働してきた。

偉い。

自分で褒めよう。

誰も褒めてくれないのだから。

 

 

まあいい。

 

表題の件について。

 

百姓としての活動を行っているとき、

僕の外見はかなりダサい。

 

 

ダサい外見をしている。

というよりも、他者意識の欠けた身なりをしている。

 

相手にどう見られるか?という他者の目線を考慮に入れていない見た目をしている。

 

 

というのも、百姓の職場には、

あまり人がいない。

相手は人間でなくて、自然だから。

 

人がいても、

汚れる前提の服装をしてはったり、

動きやすい機能的な服装をしているので、

おおよそオシャレな服装とは言えない。

 

そもそも3K(=きつい、汚い、臭い、コロナにかかる心配が皆無)の仕事である。

 

誰が竹藪でZARAを着る???

 

誰がユニクロの大衆向けの無難なオシャレファッションをする!?

 

誰がH&Mを着て、最近のトレンドを取り入れると言うんだ!?

 

竹たちがパーカーのフードの紐を蝶々結びにしているかどうかを気にしているというのか、、!?

 

雑草たちが靴下で差し色していることに、

「あ、この人ファッションわかっている、、」

と感じたりすると思っているのか??

 

 

しない。

いや、実際どうなんだろうな。。。

しないと思う。

 

 

そこで思ったのが、

天国や地獄などの人間が考えたことも

人間が考えた世界のことで、

からしたら、

そんなものは存在しないというか

さして重要じゃないものというか

 

つまりは竹にとっての

人間のファッションのトレンド

的なものではないかと考えた。

 

この考えは

中々に面白いが、

やや不愉快である。

 

 

ただ、自然と接する時間が長いと

つい

そういう人間の経済活動やら、

頭の中の話とかが

大したものではないように思えてくる。

 

 

今回のコロナで

ウイルスという存在は

人間の経済活動やら、

生活やら、

通勤やら、

イベントやら

ライブやら

エンターテインメント

の事情やら都合など

一切顧みずに

勝手にはびこり、

 

そのウイルスに

我々は翻弄されて、

翻弄されるしかないことを痛感させられている。

 

 

 

人間は勝手に天国やら地獄やらを勝手に構築するけれども、

竹からすると、

いや、そんなもの、こっちとは関係ないんですが?

という感じだ。

 

人間もとりあえず、

生物であり、

特に身体は、

自然的なものであるから、

 

人間の生死も多分、

竹的なものなのだろう

と思う。

 

 

言うなれば、

ダサい外見をしていても

オシャレな外見をしていても、

死んだあとはみな平等というか

あんまり彩があるもんじゃあない

という実感が何やら湧いてきました、という話になる。

 

 

しかしこれはやや不愉快な話である。

 

愉快な話ではない。

 

 

なぜなら、人間のなすことは、あんまりにも人間の領域にとどまっている、ちっぽけなことだ、と思われるからだ。

 

人間は植物やら森や山や昆虫やらに

何か、喜ばれるようなことでもしているのだろうか。

 

人間は、地球やら太陽やらに

感謝されるようなことをしているのだろうか。

 

自信ないなぁ。。。

 

まあ、

地球のために、

動植物のために、

というのが、

そもそも、

人間のこざかしい頭で考えた

こざかしい正義感なのかもしれない。

 

我々人間も

AIという名の新生物を作り出すための種に過ぎないのかもしれない。

 

我々人間も、

所詮、風や雨などの

自然現象的に発生したものなのだろう。

 

ああ、あ、

やはり不愉快な考えである。

 

なぜなら、自由意志なんてなさそうだし、

頑張りがいがない感じするから。

 

 

 

 

 

 

阿部寛の声の低さ、かっこいい。