かんざえもん

文章を書いている間の脳みそのドライブ感を楽しみたいブログ

今週のタケノコ事情と仕事観を書き残しておくことで、来年の糧にするという意識高めな戦略

 

 

3/20から3/27くらいの

1週間は1日の収穫量が、だいたい、

2kg×6箱

という感じだった。

 

まだ春本番というわけはないし、

こんなもんか、、と言ったところだろう。

やや暖冬であったため、若干、タケノコの生え具合は早いか? 

 

 

今週のタケノコ事情、、

以上!

 

 

 

 

タケノコ出荷の方も、

どうやら、コロナウイルスの影響を受けている。

 

タケノコは、珍味な高級食材なので、

わりと高い料亭とかで使われる。

 

あるいは引き出物的な意味合いで、

会食・宴会のときなどに

季節を彩る野菜として、

料理に使われる。

 

しかし、最近のコロナウイルスの影響で、

そのような会食・宴会が取りやめになることが多く、

したがって、

タケノコが料理に使われることもなくなっていて、

需要が減ってしまって、

結果、タケノコの価値が下がってしまっている。

 

特に、立春のこの桜見・花見の時期は、

宴会が多く、

タケノコが高値になるゴールデンタイムらしいのだが。

 

ぐほ。。

 

 

 

 

 

某日の今日は雨が降っていたが、

タケノコを堀りに行った。

 

どうも、

会社に行かずに、

家にいると、

ニートをしている気分になってきて、

非常に罪悪感が湧く。

 

なので、

一種、強迫観念にも駆られて、

竹藪に行くという形になった。

 

 で、タケノコを掘って、

しっかり出荷までしたので、

仕事をしたという感じである。

 

 

 

会社から仕事を振られていないとして、

「では、どれくらい仕事をすれば、十分と言えるのか?」

「一般の成人男性が行う仕事量として妥当な量とはどのくらいか?」

という問題が出現している。

 

週休2日は働きすぎているのだろうか、そうではないのだろうか。

 

日本人は働きすぎなのか、

ドイツではもっと家族との時間を大事にしているのだろうか。

 

自分が生きていける分の収入があれば、OKということなのだろうか。

 

とりあえず、毎日畑に出れば、仕事をしていると言えるのだろうか。

 

会社に入っていればそれだけで、仕事をしているということになるのだろうか。

 

「仕事をしなければならない」という強迫観念を抱くことは間違ったことなのだろうか。

 

不労所得者は、「ずるい」のだろうか。

 

 ニートは正義で、「働いたら負け」なのだろうか。

 

 

 

 

仕事をする、ということの意義みたいなものの再考を促されている。

 

 

仕事をする、ということは、

社会に何かしらの価値を提供する、

ということだと思う。

 

だが、

「何も世の中の役に立つために産まれてきたんじゃないんだ!」

「労働人材ではないんだ!」

と叫びたい男子の気持ちもわかる。

 

多くの人々にとって価値となる

チキンラーメン

みたいなものを開発した人はやはり立派だと思うし、

 

Not employed, educated or training

(雇われてもいないし、教育も受けていないし、訓練も受けていない)

NEETは、ちょっとよくないな、と思う。

 

我々は一人で自生しているわけではないから。

 

 

 ひとまず、人におんぶに抱っこでも生存する、ということが土台にあって、

それが叶えば、なるべく得る価値と与える価値をイコールくらいにして、

(あるいは、そのための努力を行って)

最終的には、与えられる価値よりも与える価値を大きくすることが

人間としては、

立派

ということになるのだろう。

 

「価値」というのは、

それこそ、「価値観」というもので、

その「観方」が変わってしまう。

 

人間に価値を与えることと、

動植物や、地球の環境に価値を与えることは必ずしも一致しないし、

時には対立するし、

色々と複雑である。

 

 

なるようになるだろうし、

なるようにしかならないわけだが、

人間の脳みそベースではなく、

人間の身体ベースで考えるならば、

 

人間の解剖学的な成り立ちは、

1万年前くらいから変わっていないらしいし、

狩猟・採集、農耕あたりの

肉体労働をしていたときの生活が

「身体」的には適していると思われる。

 

面倒くさいのかもしれないけれど。

 

どうなんでしょうかね。

その頃の暮らしを肯定してみてもしょうがない気がする。

 

 

 

 何の話だっけな。

 

結局、人間は周囲の環境によって定義される存在だから

周囲の磁場がその人間に与える力の方向に、

人間は生きていくしかないのだろうな。

 

 

僕にニートを否定することはできない。

 

ただ僕はあまりニートにはなりたくない。

 

自分の気持ちにウソをつくのは、やめましょう。

 

 

僕としては、

江戸時代くらいの持続可能な暮らしぶり&身体を忘れていない感じの暮らし方

が人間にはちょうどいいのかな?

と思う。

 

江戸時代、300年くらい続いたらしいし。

江戸時代のこと、そんなに知らないけれど。

 

 

 

それから、

もう少し、動植物や自然環境の存在を考慮に入れた暮らしにした方がいいだろうと思う。

人間は動物であり、

恵みは自然が与えてくれるものだから。

 

 

 

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