かんざえもん

文章を書いている間の脳みそのドライブ感を楽しみたいブログ

ゴミ観、、要らないものを考えることは要るものを考えることに役立つが、人間の『サガ』は止められない

 

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ブログには機能的価値と感情的価値が求められる。

機能的価値とは、役に立つ情報のことであり、

感情的価値とは共感できるということである。

できるだけこの2つを意識していきたいとは思うが、

毎回そんなことができるわけにもあらず。

 

 

某日

某時刻。

 

 

某所。

道路の拡幅工事のため、

某建物が破壊されるため、

その中の某物を焼却処分することに。

 

 

某建物の中、、、イラつくほどにゴミだらけ。

 

ここでゴミの話を。

 

 

ゴミ観

 

ゴミ屋敷というワードがあるが、

ゴミを捨てられないという人がこの世の中にはいる。

 

意外と多いように思う。

僕はゴミを捨てられないタイプではない。

ゴミを捨てられるタイプだし、不要なものは積極的に捨てていきたいタイプ。

 

が、うちの某血縁関係の某氏

ゴミを捨てられないタイプである。

 

ゴミに関して、

  1. ゴミをただ捨てられないだけで、他の人が捨てる分には何も思わないタイプ
  2. ゴミを捨てられないし、他の人が捨てようとすることにも反発するタイプ(俺の見ていないときに捨てられてしまったら、怒り狂うタイプ)
  3. 積極的にゴミを捨てて、もしかしたら価値のあるものまでも捨ててしまうタイプ
  4. 自分のコレクションなどを捨てられないオタクタイプ
  5. 要るものと要らないものに対する判断基準が正常で、ごもっともな感じタイプ

 

というタイプがそれぞれにあると思う。

 

僕はどれかというと、4である。

自分の描いた絵やら、漫画やら日記のノートは残してしまう。捨てられない。

後で読めるし、実際にたまに読むし、なんとなく大事だし。

 

で、ゴミ観の話を某友にしたのだが、某友は1のタイプだった。

なんだろうね。

 

物持ちがいいというか、人間の謎のサガ

 

爪が伸びるのを止められる人間がいるか?いや、いない。人間の『サガ』はどうやっても止めることができない。私は人を殺したいという『サガ』を持っている。これは止めることができない。しかし、、、幸せに生きてみせるぞ!

 

で、某血縁関係の某氏が、なんと、ゴミ屋敷予備軍的な、2のタイプ。

とにかく物を捨てられないし、相手にも捨てさせない、というどうしようもタイプ。

 

今回、その『サガ』を目の当たりにしてげんなりしてしまった。

昭和44年の新聞紙などを、軽トラで運び出して、某所で焼却するという面倒が生じた。

まさに軽トラで運び出そうとしている間もその中から少しゴミを拾って自分のポケットに入れていた、、えぐい。 

 

 

なんなんだろうね。

ゴミが捨てられないし、捨てさせたくないという心境というのは。

「なにもかもが大事」という価値観なのだろうか。

 

その某氏は、わりと生物にやさしい。冬眠中のカエルを見つけたら、その気だるそうな体を丁重に扱ってきちんと土に埋めてあげたりする。

 

そして何事にもわりと寛容。多様性を重視している?

 

うむぅ。

 

僕が某氏ならば、自分がなぜ、モノを捨てられないのか、捨てさせたくないのか、ということについて、ブログにするくらいに考えると思う。深く掘るというか。

「なぜ、自分はモノを捨てられない人間なのか?」「そのキッカケは何だったのか?」「えいやっと捨ててみたらどういう心境になるだろうか」と思いめぐらせるかなと思う。

 

 

ゴミ観を考えることで、自分は何を大切にしているか、が意外と見えてくるかもしれない。そして、ゴミを増やすことはやっぱりよくないから、そのための工夫をやっぱり考えることになるだろう。

 

 

 

ゴミから何か考えるのは、けっこういいことだと思う

 

こち亀でフィギュアオタクの男性が、妻に『このフィギュアたち、、あなたが死んだらただのゴミよ!』と言われるだが、こういう当人にとってのみ価値のあるフィギュアとかどうするべきなんでしょうかね。

 

ゴミは、人から見ればゴミ(無価値なもの)だが、ある人から見れば、価値のあるものなのだ。

 

ゴミを捨てられない人は、役に立つからゴミじゃない、立たないからゴミという価値観で生きているのではないんだろうな。

 

いつか役に立つ、、という理由で昭和44年の新聞紙、残さないもんな。謎の紙袋も残さないだろうし、謎の段ボールもそのままに残さないだろう。

 

想い出が詰まっているから、というのは物を残す理由になるだろうし、

なんとなく気に入っているから、というのも物を残す理由になるだろうし、

なんでもとりあえず、残しておけばいいねん、というのも物を残す理由になるだろうし、

多種の物を残す基準(モノサシ)がある方が、物を残すことに繋がるだろう。

 

 

と、まあ、そんなことを考えて、どこにも辿り着かないかな、と思いきや、どこかに辿り着いた

 

どこに辿り着いたかというと、絵とか漫画とか、残してしまうなら、残す価値のあるようなものを残そう、そういうものを創作しよう、ということである。

 

つまり、

卒業証書を残すなら、残したくなるような学校生活を送ろう!

という具合のことである。

 

 

 

まあ、これから学校を卒業する確率は、けっこう低いのだが。

 

 

おわり