かんざえもん

文章を書いている間の脳みそのドライブ感を楽しみたいブログ

さかなクンの魚の絵の描き方に学ぶ、世界の祝福の仕方

 

 

話の流れとしては

世の中を呪ったり、批判したり、否定したり、悪態ついたりするよりも

世の中を祝福しようよ

そのために、世界の祝福の仕方をさかなクンから学ぼうよ

というものです。 

 

どーゆー流れやねん、、。

 

 

情熱大陸だったか

プロフェッショナル仕事の流儀だったか

 

なんだか忘れたが

 

 

Youtubeの動画に、

魚が大好きなさかなクン*1

実物の魚を見ながら、

魚の絵を描くシーンがある。

 

(動画見つからなかった。↓これが近いかな)


「さかなクンのお魚図鑑~マダイ編~」

 

そこに、世界を祝福する仕方を学ぶためのヒントが隠されていたので共有したいと思います。

 

 

さかなクンの世界の祝福の仕方

 

この動画を見てもわかるように(見なくても今から説明するけど)

さかなクンは、魚の絵を描くときに、

トゲが何本あって、とか

水玉模様が何個あってとかを数えて描く。

 

僕が昔見た動画でも

94コくらい水玉模様だったがトゲだったかを数えて

スケッチブックに94コのトゲをギザギザと描いていた。

(上記の絵と同じくバランスはよくないので、

ギザギザは写実的とは言えない。しかしかえって、世界の祝福の仕方が強調されていた)

 

 

背びれの数も数えるし、

とにかく現実のありのままの姿を

そのまま絵にしていた。

 

 

 

 

 

 

なるほど

これが世界の祝福の仕方なのだ

 

と思った。

 

 

絵に描くというのは

そもそも、何か特筆すべきことを抽出して

紙に移す

という行為であると思う。

 

 

小林秀雄

批評とは、作品の積極的な肯定であり、誤解を恐れずに言うならば、最大の賛辞を与えることである

というようなことを言っていたが、

 

さかなクンの魚の描き方はまさに、

魚の積極的な肯定であり、

最大の賛辞であり、

批評であり、

世界を祝福する方法なのだな、

と思った。

 

 

魚のトゲを積極的に肯定することは

魚のトゲをプログラムしたDNAへの肯定であり、

魚のトゲを生育した魚の消化吸収機能や

魚のエサとなった生き物の肯定であり、

ひいては海の肯定であり、

つまりは地球の肯定であり、

結局のところ、

世界の肯定に繋がらざるを得ない。

 

 

具体的に詳細部分を肯定しているところ

はすごく大事だと思う。

トゲの数を数えるあたりが良い。

 

 

トゲいっぱいあるなー

では、

肯定が薄い。

 

トゲ94コあるんだね、魚くん!

の方が肯定が濃い。

 

 

オシャレな靴履いてるね

ではなく

ドクターマーチンだね

ということを言及された方が嬉しいし

よく見てくれている

と思う。

(ドクターマーチン履いたことないけど)

 

 

 

さかなクンは魚のことが大好きである。*2

そんなさかなクンから学んだ世界の祝福の仕方でした。

この文章読むよりもさかなクンのお絵かきを見る方が世界を祝福することがどういうことなのかがわかるように思います。

 

まあ、さかなクン、全然絵はうまくはないけど。

(でも妙にリアリティはある)

 

 

 

というわけで、

普段、草引きで引いている雑草を祝福してみることに

 

 

竹藪に生えているトキワツユクサと思われる草↓

f:id:fuyuwatari:20200308111326j:image

 

スケッチしてみました↓

f:id:fuyuwatari:20200308111333j:image

 

気づいたことは、

竹になんとなく似ている、、

ということ。

 

玉ねぎの草引きをしていても思うが、

育てている植物に似ている形の雑草が生い茂る

という現象が散見される。

 

この現象の名前、募集。

 

 

それから、なんか美しいな

 

ということ。

 

何番目の節に葉っぱができるか?

というところに数学的なパターンが隠されていそう。

 

有名どころでは

フィボナッチ数列

(f_{n+2} = f_{n+1} + f_n, f_0 = 0, f_1 = 1)

だ。

 

フィボナッチ数列特性方程式

x^2-x-1=0

を解くと、

 

黄金比

(1+√5)/2

が出てくるから

美しいのはそこからなのかな。

 

 

葉っぱが破れていたり、一部枯れていたり、シミがついていたりする

 

絵で描いているときに

描きにくいなぁと思うところがあった。

 

それは、シミとか汚れ、できものや破れている部分だ。

 

漫画とかアニメの絵には、シミとか汚れとか、ない。

ルフィの肌にニキビとかホクロとかないし、

背景の植物や岩なども、

いわゆる漫画的な植物や岩で

けがれがない。

 

けがれを知らない登場人物と

その背景たち。

 

現実の植物を観察すると、

数学のように綺麗な理想的なことにはなっていなくて、

イレギュラーが散見される。

 

アプリで加工もされていないので

歪が目立つ。

 

そういうの、描くのめんどっ

となる。

 

が、面倒くさがって

そこを省略すると、

それは世界を積極的に肯定したことにならないし

むしろ、

世界の一部を排除、否定していることになる。

 

人間のなす行為には

すべてこのような理想化、悪の排除

が行われおり、

僕らは全然、現実をありのままを見ることができていないし、

見て見ぬふりをしていることに気づく。

 

 

描いてみたトキワツユクサの断片は今、

枯れてシナシナになっている。

 

このシナシナの草も現実であるし、

描けばいいのかもしれないが、

全然理想的でないので、

描く気にならない。

 

シナシナの感じを出すのに苦労しそうで筆が進まない。

 

これはつまり

老いや枯れなどの現実的な自然現象の否定であり、

祝福の反対であり、

呪いである。

 

 

僕はまだ若いから

この現実を受け入れることができない。

 

老いを呪っている。

うちの祖母の存在を受け入れられていない。

 

しかし存在する。

 

(とはいえ、トキワツユクサ、、今から土に戻しても再生しそう、、強い、、草はすぐ枯れない。3日ほど経っているが茶色にはならない。

根が復元するまでかろうじて生きていれば、再生するんだもんな。しかもトキワツユクサは茎に水を蓄えている、、、ラクダか!)

 

 

 

 

そんなこんなで、

まだ世界を肯定しきれない

僕なのでした。。。。

 

 

 

けれども、

産まれて初めて雑草をスケッチしてみて

世界を少し祝福できた気分の僕なのでした。

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

*1:車の方が好き説がある

*2:車の方が好きという説がある