かんざえもん

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百姓のDeadlineは、たぬきと一緒だから面白くて大事だから話を聞いてくれ

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僕は百姓の家で産まれた。

産まれるしかなかった。

 

Generally Speaking

一般的に言えば

「産まれる家、選べない問題」

である。

 

 

言語の力を借りて、

サラリーマンの家に産まれた人にも

その境遇に共感できるように話をする。

 

 

僕は2月末に会社員を退職した。

人生最大の英断だと思っている。

 

どうも、周りから浮いている気がした。

背負ってきた背景が違う、というか

常識が違う、という感覚。

 

 

 

サラリーマンの人にとったら、

「サラリー」

つまりは

給料(お金)

こそが生きる糧であり、

死活問題である。

 

 

そこがサラリーマンの死活線(Deadline=生死を分ける境目)だとすると、

普段の仕事をきちんとこなすことが死活問題であり、

一緒に仕事をする人は、運命共同体で、

好むと好まざるとにかかわらず、

挨拶して、会話して、交渉して、雑談して

ひとつの仕事を一緒にこなしていかなくてはならない重要人物。

 

そこへのコミットは必然。

自分の常識からして避けて通れない部分。

職場の人と関わりを良好に保つことに、疑問の余地はない。

 

 

 ****

 

 一方で、

百姓のDeadlineは、

「お金」

ではない。

 

 

 

Deadlineは、赤道のように誰にとっても一緒の線ではなくて、

体感温度のような

個人差のあるものである。

 

 

百姓のDeadlineは

簡単言えば、

「食べるもの」があるか

である。

 

第一次産業の従事者であるから、

人が獲得している食べ物

の第一線にいる。

 

サラリーマンが食べる

吉野家の500円くらいの牛丼のコメ。

 

その米は百姓によって育てられている。

 

 

百姓にとっては、

食べ物は

お金を出して購入するもの

ではなく

畑で育てるもの

という認識である。

 

 

 

お金という貨幣経済など関係なく、

天候や風向や地熱や土壌を気にしだすことになる。

 

景気で野菜は育たないから。

 

 

そうすると、

百姓のDeadlineは職場の人間関係

というよりも

明日が晴れか雨か

とか、

田んぼがつぶされて、マンションに変わっていないか(つまり、田んぼがあるか)

とか

絶滅する動物とかがいないか、

生態系は保たれておるか

とか、

そういうことになってくる。

 

明らかに。

 

 

で、

この間、友達に

「なんか最近、

畑とか田んぼがマンションや住宅地に

変わったりしていて、

自分の死活問題に関わってきているんやけど」

「竹藪が壊されて

自分の生活が脅かされているというか、

危機感を感じるというか、、」

というような話をしていたら、

 

『たぬきやん』

 

と言われた。

 

たしかにw🦀

 

 

 

確かに、

「自然を破壊されると、生命を脅かされる感じがする」

というこの感性は

たぬきとか、

もののけ姫のイノシシみたいな価値観をしていることは

否めない。

 

 

が、

人間というのは、

生物でありまして。

 

生きる糧は、自然から獲得するしかありません。

 

かの有名な解剖学者の養老孟司さんも

人間が恵みを得られるのは自然だけからである

と言っております。

 

人はパンのみにて生きるにあらず

ではあるが、

パン食わないと死ぬわけで。

 

パンがないなら、

ケーキを食べればいいけれど、

ケーキも原材料は

小麦とか卵とかイチゴ(うちのイチゴは着々と育っております)とか

自然の恵みのわけで。

 

畑があり、

世話をして、

育てて、

収穫するからこそ、

小麦が収穫できるわけで。

 

小麦を育てるのは、

百姓というか、

実は自然そのもの

(太陽や季節や土壌や化学反応やら、、)

である。

 

 

仕事でパソコン叩いて、

得ているものは

自然への恵みの切符なわけで、

 

そもそもの自然の恵みがなければ、

切符もなにも意味ないわけで。

 

そういう

「そもそもの前提の価値観」

みたいなものが

サラリーマンの人とは異質だったから

どうにも会社員にはなじめなくて、

退職した

という感じが強い。

 

 

この感覚は言語化しづらく、

職場の人にわかってもらうときに言葉が詰まった。

 

 

「なんか向いていないと思うんですよ」

では相手に伝わらない。

 

 

 

貨幣経済に左右されるのではなく

天候に左右される生活の方が

自分には向いているっぽかったのでした。

 

 

 

 

 

 

そういうわけで

何を聞いてほしかったかというと、

 

 

そもそも、我々はお金で生きているのではなく

自然の恵みで生きているわけでして

(まあ、お金はもちろん大事ですが、

野菜を育てて口に入れるまでの時間のショートカットくらいの役割

なわけでして)

そもそもの自然がなければ

何にもならないわけなので、

 

 結論、

 

自然を大事にしましょう。

 

 

 

結論のメッセージ性が弱いですね。

 

もう少し、強いメッセージの方がいいですね。 

 

 

 

自然を

 

大切に

 

しないならば、

__

タヒ ね!!!!

 

 

 

 

というか、もっと具体的なアクションプランを提示した方がいいんでしょうね。

 

そうですね。

 

っていうか、

僕が自分の価値観の前提を変えられなくて退職したほどに、

その人の生育環境に根差した価値観はよほど変更が難しい。

 

サラリーマンの人のサラリーマン的価値観の前提を変えることは

多分、無理なんでしょうね。

今からヒンズー語喋れってくらいに困難です。

 

僕が

自分の価値観を変えれられないくらいなので

人の価値観を変えるとか無理ですよね。

 

 

ただ、

原則としては、

やはり、

農業がないと死ぬっていうか、

昔はだいたいみんな百姓していたわけですし、

百姓の方が歴史長いし、

根本ですし、

本質ですよね。。

 

 

 

百姓は金がなくても

生きていける可能性があるが、

リーマンは、金がなければ死ぬ。

 

それは事実ですよね。

人生の屁ではない理屈ですよね。

 

たぬきの僕は

この理屈を強調しておくに

とどめます。

 

我々は自然の恵みで生きていて、

お金はそれを獲得するための切符であり、

本質ではない。

 

そもそもの食べ物がなければ、

生きていくことはできない。

 

 

 

 

 

 

とはいえ、

今の社会、

お金があれば、

まあ、だいたいどうとでもなりますよね、、、。

 

百姓の僕の方がマイノリティではあるのだろう。

 

 

 

おわり