かんざえもん

文章を書いている間の脳みそのドライブ感を楽しみたいブログ

久々のサウナ/自分の脳内の政治

 

久しぶりに銭湯に行って、サウナに入った。肉体労働者の友、銭湯。やはり体の疲れが随分とマシになった。サウナに入って、水風呂に入って、しっとりと外気浴の世界でたゆたんでいたら、もう一度生まれたような気持になっていた。

サウナの中では心拍数が上がり、血流が良くなり、毛細血管にまで血液が送り込まれていく。そして水風呂に入ると、心拍数は下がっていき、毛細血管は縮こまり、血流は太い中枢の血管を流れるようになる。大きい血管をグルグルと暖かい血が流れ、新陳代謝が加速される。そうして、刺激状態のサウナと水風呂から逃れ、快適な外気浴空間に訪れて横になると、新陳代謝されて浄化した血液が毛細血管を通して体の隅々までドクドクと送られてゆく。その脈打つ感覚が体中に響いていて、とても気持ちがいい。そのドックドックという脈打ちに耳を澄ませながら、外気の流れを肌で感じて、ぼーっとして過ごす。そうしてふと立ち上がると、生まれ変わったような、もう一度産まれたような新しい感覚になって目覚められる。爽快な気分だ。

 

 

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これをしたい、とか、何もしたくない、とか、そういうやりたいことみたいなんが素潜りくらいしか思いつかないのが今の素直な僕の現状である。

一般相対性理論を数式で一歩一歩理解する』という本を買っていくらか読んでみたり、天体観測をしたり、雲をふと眺めたりしているが、それはどうなのだろうね。したいことなのだろうか、という感じもある。非・生産的な事柄をし続けて、死ぬまで何も成し遂げることなく死にたいのだろうか。それでいいと思っている節はある。強い感情が湧き上がってこない、というのはある。

もうその時点で人生そんな感じで終わるという気がする。他に強い感情を持って、欲望やら野望を持って、人生に取り組んでいる人たちからすると、僕に関しては別に何も始まっていない。そしてそれが普通であると思う。みなそれほど確固たる野望なんてそれほどないでしょ。

会社なり職場なりに行って、ある程度決まり切っている仕事を8時間くらいしてお金を稼ぎ、そのお金で美味しい食べ物を食べたり、欲しいものを買ったり、好きな人と過ごしたりして、生活を過去へと送り流してゆく。みんなだいたいそういうものでしょう。僕の周りの人がそういう人間というだけの話かもしれないが。確かに僕がそういう人間だから、僕の周りの人間がそういう人間で構成されているのもうなづける。

それが悪い人生であるとは思わない。向上心には少し欠けているかもしれないが、向上心に欠けていることが悪いわけではない。いや、日々の仕事の中で向上する部分もあるだろうから、向上心がかけているというのも言い過ぎなのだろう。

 

熱中できることが今、見つかっていないということなのである。

ある程度長い時間をかけて、ようやく達成する、そしてその達成した暁にはじんわりと温かくしなやかな達成感が身体をじんわりと温めてくれるような、そんな目標がないのである。

僕のそれは「漫画執筆」であった。大学生のときに、数学を生かした漫画を描こうと思って、遅々とした筆の運びで漫画を描いて、ようやく達成したときの歓喜は上記のようなものであった。それを今一度したい。

音楽を聴きながらそのリズムに乗りながら筆を走らせて、作品を一コマ一コマ描いていく。そうして物語が不器用ながら続いていく。0から1というか、白紙から絵が生み出されるまさにその作業を自分の手が行っているところを最も間近で自分が見ている。

まあそんなたいそうなことではないかもしれないが、そういうことをしていた。「創る楽しみ」があった。

「創る楽しみ」があることって周りにそんなにない。僕は農家でもあるので野菜を作ったりするのだが、野菜を作っているのは太陽と土と水とその野菜自身であって、自分が作っているという感覚はどうにも得られない。もっと木工とかできたらいいのだけれど、いかんせん鑿を握ることを躊躇してしまったりして、なかなか行動に移せていない。行動に移せていないこと多し。優柔不断なんかな。なんでもやってみればいいのにね。

即断即決することと優柔不断であること、どっちが得なんだろうか。さっさと決めてしまった方がいいのではなかろうか。どうしようか悩むより、決めてどう実現しようか考えた方が生産的であると思う。優柔不断なのは、自分の価値観が定まっていない、あるいは優先順位が整理整頓できないことが問題なのだと思う。

物事の優先順位を整理整頓したいので、このブログを書いているみたいなところがある。

物事の優先順位をはっきりさせてゆこう。何が一番大切だろうか。やっぱり人間関係だろうか。仁義だろうか。自分の命か、人の幸せか、自然環境保護か、、、。とりあえず、自分のことをもっと大事にしてあげたいなとは思う。けっこう、人のことを気にして、人にいい顔しようとして人の価値軸に自分の軸を寄せているみたいなところがあるような気がする。末っ子気質。おさがりをよく貰うので、人の趣味をそのまま受け入れる性質。それはそれとして、それでは現状困るから価値観を整理してゆかなくてはならない。

自分の価値観は、、自分がしたいことって何なんだろうか。本当にしたいことって、やっぱり漫画描くことなんかな、、と思い続けて、実際漫画を描いてみて、こりゃ大変だ、と思って敬遠している。敬して遠ざけている。漫画を描いているときに思うのは、「①漫画を描く②誰かに見てもらう③感想を貰う④おわり」となって、④以降にどこにも辿り着かないから、①漫画を描くがそこまで意味のある行為じゃないな、ということだ。意味のある行為じゃないから、やっても仕方がないかなぁ、という損得勘定で判断している。損得勘定が漫画執筆をしない理由であり、行動をするかしないかの基準が損か得かというものになっていることに気づく。

 

優先順位を決めていく頭脳労働がめちゃくちゃ面倒だな、やりたくないなと感じている。しかしこの作業を遠回しにしているから即断即決ができないのであれば、きちんと作業するしかない。

 

時間の配分と、お金の配分をどう振り分けるか?という政治を自分の脳内で行わなくてはならない。僕はわりとタヌキ的に生きているところがあり、無法国家で自然のなすがままに生きているところがある。それが外部にも反映されて、政治や法律や経済にあまり関心を示さない生活を送っている。なるほど。

僕の頭の中には国家と同じように、色んな人間が住んでいる(誰の頭の中もそうだと思う)。その状態にあって、その色んな人間が納得するように、予算などを組んでゆかなくてはならない。僕の頭の中という国家を回してゆかなくはならない。国破れて山河在りということで、国が成立しなくても山河はあるから、山河の方が優越しているから山河を大事にしよう、山河に寄り添おうということで、一次産業を仕事にしているという価値観である。なんというか、非常にわかりやすい。しかし、僕のような人間だらけだと恐らく社会はうまく回らないのだろうな。

富国強兵のように、相手国と戦って勝つために国家を編成しようとしていない。僕に戦う相手はとりあえずいないっぽい。何かに勝ちたいというようなイメージがない。

自分がどう考えているかはかなりわかってきた。かなり自然に寄り添った考え方をしている。動物的、野性的である。しかし、僕は人間であり、人間は社会的動物であるがゆえに、動物的な本能と、人間としての本能が矛盾しているところがあり、迷いが発生している。

人間的な「社会集団を尊重したい」という本能と、動物的な「自己利益を大きくしたい」が少し矛盾しているところがある。それは、自己利益の増大と、社会集団の利益の増大が僕の中で矛盾しているからだろう。他人の幸せ=自分の幸せという等式が成り立っていれば、人間的な本能と動物的な本能に矛盾は生じないから、本能に根差した深い動機で行動をしてゆける。だけれども中々そんな賢者みたいな考え方にはなれない。多分、成功の黄金律だとは思うけど。

 

人生の基本原則に立ち返ると、
「①やりたいことを明確化して②優先順位を決めて③やる」
ということに尽きる。

で、いま①のやりたいことを明確化することに困っている。というわけで
①’やりたくないことを明確化する
ということをしてみよう。

 

つづきは次回。

 

 

おわり

 

 

 

5年後したいこと/2021筍&筍販売/個人間のやりとり

 

5年後、どんな暮らしをしていたいか。

 

今、26歳なので、5年後は31歳である。31歳のとき、僕はどんな暮らしをしていたいだろうか。

まったく思いつかない、、、。周りの人がどんな30代かによるのだろうか。周りの人と同じ感じで生きていけてたらそれでいいと思う気持ちはある。

結婚していたいと思う。子供がいると嬉しいな、と思う。つまり結婚していたい。奥さんがおり、子供がおり、子供のために働いているような暮らしができていたらいいのではないかと思う。

子供と一緒に遊べるようなアクティビティを考えたり、一緒に虫取りしたり、魚釣りをしたり、山に登ったりしたい。たぶん、良太くんも同じようなことを考えているだろうと思うが。

思いつくのはそれぐらいのものではある。子供と一緒に理科を楽しみたい。自然を楽しみ、自然に対する世界観を建設していきたい。

 

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さて、今年の筍事情はどうだっただろう。まだ終わっていないが、現時点で。

やはり裏年(不作年)という感じだった。そして、筍の出始めが三月半ばか下旬で、わりと早かった。比較的、3月は暖かかったからだろう。桜の満開も早かったし。

そうして、四月の上旬ごろが恐らく出盛り期で、最近はもう細長く奥の方から出るものが多い。どことなく今年の筍は細かった。なぜだろう?あんまりでっぷり太った筍は少なかったように思う。

白子の綺麗な筍が出たのは四月の下旬ごろで、だんだんと白子の筍は減っている。今日は5-6kgくらいしか白子は取れなかった。これから再び盛り返すのか、それともこのままもう今年の筍は終わりを迎えるのだろうか。

販売の方は、「食べチョク」というオンラインマーケットサイトを使わせてもらい、いくらか売り上げを獲得することができた。しかし、もっと数量を増やさないことには農協の出荷の値段も安くなってきてしまっているから、心もとない。食べチョクで売っているくらいの値段で農協でも売れたらいい、あるいは、食べチョクで農協くらいに売れたらいい。なかなか注文にこたえるほどのよい白子筍をきちんと用意するのは難しい。今年のように不作かもしれないし、中掘り(掘る途中に筍を傷つけたり失敗すること)はどうしても防げないからである。

ある程度筍掘りが上手になって思うのは、どうしても中掘りしないと掘れない筍はある、ということである。根っこに挟まれていたり、ツインですぐ横に2本生えていたり、トリオだったりすると、すかしている(筍周りの土をどかす)ときに、どうしても傷つけてしまう。あるいは、根っこが筍を切るときの邪魔をすると、綺麗に掘ることは、難しい。そもそもすかすのが難しくなるから。掘る対象の筍のうち、2-30%はそうした障害物のせいで中掘りをしてしまう筍である。あとの7-80%はそんなに障害物のない筍であるので、それを間違いなく、失敗無く傷つけることなく綺麗に掘り上げるということを目標にするしかない。丁寧にすかして、深さを考慮に入れて、慎重に掘れば、それはできる。

農協は掘れたら掘れた分だけ、受領してくれるところがいい。出荷するクオリティの筍であれば、受領してくれる。食べチョクはわりといい値段で買ってくれるお客さんがおり、ありがたいが、自分が出荷したい分だけ出荷するというのは難しいし、日時指定というのも中々難儀なところはある。配達するその日に筍が取れるとは限らないからだ。おかげさんで今年はなんとかすべてさばき切れたけれども。

中掘り筍の皮を剥いて、販売しに行くというのも今回やった。玉木先生の家の近くの人が主に買ってくれた。逆に、玉木先生の家の近くではない人は、ほとんど買ってくれない。僕の営業の仕方が適当過ぎるのがダメなのかもしれない。「筍のお兄さん」という認知を貰えるくらいにあの近所の人と仲良くしていく方がいいのだろうが、それほど仕事熱心にできていないというのが現状である。それはひとえに僕の怠慢ということになるだろう。営業活動はほとんどが無駄打ちになる行為なので、どうも苦手である。まぁ、そういうものだからしょうがないのだが。

僕の知り合いや友達に直接販売したりするというのが中々よい方法だと考えている。個人のお客様をたくさん捕まえるというのがもっとも重要な事柄だと思う。つまり、網を張るのではなく、モリで一人ひとり突きに行く、という戦法である。今回、ヒノコ市で出展させてもらうことで、そのような個人のお客さんを一人か二人くらいゲットできた。そういう風にしてイベントごとに増やしていくことも大切だろうが、もっとこう、なんかやりようはないものか。ツイッターとかインスタグラム(インスタは若い人しかしてないからきついかな)で、DMを送って、筍の販売にこぎつけられないだろうか。スマホ中毒なのだから、そういうのはきっと得意にできるのではなかろうか。

個人の(お金を払ってくれる)お客さんを手に入れることこそをしなければならないのではなかろうか。個人間のやりとりならば、筍だけではなく、他の野菜や果物も打っていける可能性が高い。値段は高くないかもしれないが。この個人のお客さんという存在についてもっと掘り下げる必要がある。

まず、仲良すぎてはいけない。仲良すぎると売買ではなく授受になる。こちらはただで渡すということになり、ほとんど金銭は発生しない。イチゴの苗を分けてもらえたり、ネギの苗を分けてもらえたり、そういう金銭ではない物々交換が発生することはある。それはそれで有益な交換ではあると思う。お返しのお返しの経済である。それはそれで何も問題ではない。だから、要するに個人間のやりとりをもっと豊かに多く増やしていく必要がある、というのは間違いがない。金銭やら何らかのお返しがもらえないとしても、個人のお客さんをたくさん持っておくことは重視していこう。何か贈与し続けていれば、返報性の原理が働いて、何かをお返ししてくれるかもしれない。そのあたりどうなんだろうな。基本的にやっぱり何か贈与したら、お返ししてほしいよな。

どうすれば個人のお客さんを増やすことができるのだろうか。人に関わる場所に出向く。それはなるべく同業者じゃない方がいい。農家でもいいが、筍農家ではちとマズイ。要するには、自分とは異なるタイプの世界線で生きている人の方が良い。友人の友人や、知人の知人くらいの関係性の人がベターである。そして野菜や果物や農家に興味があるのはだいたい中年以上の世代だから、その世代あたりの知人ができたらなお良い。そのあたりにはおそらくオンラインでアクセスするのは中々難しいと思われるので、オフラインで関わっていくしかない。猟師さんや漁師さんや養蜂家や、不動産屋さんなどと関わりが持てたらよいなと思う。まあクセの強い人ばかりがいるから、ちと大変かもしれないが。

やはり経済、社会は「ひと」で成り立っている。人と関われるのであれば、金銭のやりとりになるのかどうかや、物々交換になるのかは最終、あんまり重要なことではないのだろうと思う。

FACEBOOKが最も活用しやすいSNSなのかもしれないね。

 

おわり

 

 

親父が掃除できないことについて書きながら考える

 

 

自己紹介

 

僕は農家生まれの末っ子です。好きなものは素潜りと、数学と、文章を書くことと、登山したり焚火したりすることです。あと星を見るのも好きです。最近は雲を見るのにもハマっています。

素潜り歴はまだ一年ほどで、ベラを数十匹とカサゴを一匹、イシガキダイを一匹とメバルを2匹くらいしか、まだ突いたことがありません。しかし装備としては、ゴーグルと、軍手と竹ヤスでそれらを実現しており、素潜り能力はそれなりに高いのではないかと思っています。これからはフィンを履いたり、ウエットスーツを着たりして、より本格的に素潜りに挑戦していきたいと考えています。

数学は高校生の頃にハマって、大学、大学院とやってきました。正直なところ、学問のための学問をやりすぎてきたきらいがあります。もう少し自分の好奇心の羽を伸ばして、物理学や化学や天文学に触れていたら、もう少し分野横断的に勉強していたかと思います。数学は抽象的で難解で、ある種の眼を持っていなければ数学的対象に好奇心を抱くことすら難しい世界になってきます(純粋数学の話です)。そして知的好奇心のみが難解な数学的概念を理解していく燃料となるので、もっと好奇心が爆発するような対象を見つけられたら良かったかも、と思います。いやしかし中々難しいものです。

文章を書くことはなんやかんやで小学生のころからずっとやってきています。最初は学校から出された「あのね帳」に文章を書くことにハマり、そのあとは児童文学の感想文を書くのにハマり、中学では日記を書いて、高校では計算用紙のプリントの裏にひたすら思ったことを書きまくり、大学では何かを書くためのノートを用意して、そのノートをひたすら積み重ねていき、PCでブログに記事を書いていくというスタイルになり、、、と変遷をしながら、なにはともあれ文章を書き続けています。これはなんなのでしょうか。このブログもいわばそういうものです。言葉の新陳代謝なのでしょうか。

登山もよく行きます。家の近くに天王山があり、西山があり、野山があり、手軽な登山をよくします。今は仕事が林業になってきているというのもあり、仕事で山を登ることも増えてきています。それからこれからは狩猟もしようと思っているので、狩猟で山を登ることにもなりそうです。それから僕の願望としては、「沢登り」をしてみたいというのもあり、それで山を登る機会が増えそうです。自然は好きです。街も好きですが。大学院の時の友達と指導教官と山に登ったりすることもあります。けっこう定期的に登山をする関係になっています。

焚火もよくします。実家が農家で畑や竹藪で焚火をします。竹を燃やすことが多いです。枯れた竹が山ほど竹藪に散乱しているので、それをお掃除するために竹を燃やして焚火をします。クッカーセットを買ったので、それでお湯を沸かしてココアを飲んだりコーヒーを飲んだりラーメンを作ったりします。美味しいです。竹炭が作れないかな、と考えています。窯を作って竹炭づくりをするのはたいそうなので、オイル缶などを工作して作れないかと考えています。まだ実行には移せておりません。行動力がなくてすみません。

星を見ることは2020年の12月くらいから始めています。キッカケは先ほど話に上がった大学院の知人との登山の場で元指導教官が100万円くらいする天体望遠鏡を持っているという話になったところから、星ってけっこう身近なんだ、と思い天体観測に興味を持ち始めました。天体観測を始めた12月ごろは冬の大三角形がよく見えて、オリオン座やぎょしゃ座、ふたご座、ペルセウス座、といろいろな星座を覚えていきました。ある程度星座が頭に入ると空を見るのが楽しくなり、月が太くない晴れた夜は非常に遥かな気持ちになっていました。最近は見える星座が少しづつ変わってきて(見える星座が変わってくるという面白さがあります)、おおぐま座(北斗七星)、こぐま座、しし座、おとめ座など春の大三角形が見えてくる空になりました。オリオン座がなかなか見えなくなってきて、冬の終わりを感じます。昔は航海のときに星を頼りにしていたといいますが、確かに道しるべになるな、と感じています。目標は天体望遠鏡を買って、星を観察することにあります。ただ、天体望遠鏡を購入するのに少し躊躇いを感じていて、もっとハマってから、天体観測が自分の生活の一部になってからにしようと考えています。とりあえず、一年通してスマホのアプリや肉眼で天体観測をして、星座を覚えて、天文学を勉強して、知識が蓄えられてきたら天体望遠鏡を購入しようと思っています。その前に双眼鏡も買おうかと思っています。それから天文台とかにも行ってみたいですね。

星空と関連して、雲も見ようと思い始めました。天体観測は正直、晴れている日にしかやりがいがありません。しかも夜しか見れません。都会は光害がひどいです。空は昼も夜もあり、昼は雲が見えます。雲あるやん。雲を見ればいいやん、ということで雲を見ようとしています。これはつまるところ、天気予報につながります。天気予報は農家にとったら非常に有益です。というか、全人間に有益だと思います。なんで今までそういう発想がなかったんだろうか、不思議です。僕は第一次産業をしており、自然と関わる仕事なので、天気というのは非常に大切です。その天気をあらかじめわかるなんてすごく素敵なことです。ぜひとも学習していきたいものです。そしてそういうことを勉強していると、必ず登場するのが科学であり、物理であり、数学です。こういう基礎学問的な数学は非常に好きです。面白く感じます。数学は英語でmathmaticですが、原語のラテン語のmathmaticaの語義は「わかっていると思っているものをわからないと思ってもう一度考え直す」というものです。原義としての数学が僕はけっこう好きなようです。あまり応用数学みたいなものには興味・関心が湧かないからか、以前はIT系の仕事をしていたのですが、やめてしまいました。データサイエンスや、pythonや、AIなど一応大学院のときにかじったのですが、全然興味が持てませんでした。うーん。でも実際のところ、AIにはスマホのアプリでお世話になっています。うーん、また勉強し直すときもあるかもしれません。確かにこの情報革命時代、数学に強いということは非常に有利です。一次産業だけでは身体が持たないという面もありますので、数学を生かした仕事をして、半農半ITみたいな感じで、身体と心をバランスよく使っていきたいものです。今は半農半林という状況になっていて、身体がいつでもしんどいです。しかし、「わかっていると思っているものをわからないと思ってもう一度考え直す」という意味での数学を学んで、辿り着くのは自分の足元です。そこから一歩も動いていません。前に進むような営みではないのです。それが僕は好きなのですが、それだと「じゃあ数学は何ができるの?」「何の役に立つの?」という実用脳から見ると、弱ってしまいます。弱りました。

 

こうして改めて自己紹介をすると、主に自然物に興味を持っており、いろいろと各自然分野に興味はあるものの、好奇心が散らばってあんまり学習が進んでいないという状況が観察されます。天文学も気象学も竹林整備も林業技術の習得もいくらでもやることはあるのですが、どれも遅々として進んでいないような気がします。仕方がないのでしょうか。仕方がないということで済ませてよろしいのでしょうか。基礎学問は掘れば掘るほど掘れるので、とめどがありません。

各分野で目標とそれを達成する機嫌を設定して、ドラッガーが教えるように実行項目を立てて、目標達成に向かっていけばよろしいのでしょうか。きっとそうだと思います。人間の脳みそはなんらかの目標を達成するのに相応しく発達していると思うからです。「目的意識」ってやつが人の行動や思考を整理してると思います。

これで自己紹介を終了します。 

 

掃除のできなさ

 

自己紹介が済んだので、題名通り、親父について考えようと思います。僕は育ちがいいので、普段、父親のことを「親父(おやじ)」とは言いません。「お父さん」か「おっさん」と呼びます。父親としてリスペクトできない場合は「キミ」と呼んだりして叱られます。

親父の何を考えたいかというと、親父の「掃除のできなさ」です。

自己紹介で疲れたので、親父の「掃除のできなさ」については、また次回、考えます。

 

おわり

 

 

 

 

筋トレでむしろ疲労回復する説

 

ここ一か月ほど、ジムに通って筋トレをしている。

理由は、自分の行動のキャパシティ(許容量)を増やすため、が大きい。カッコいい身体を手に入れるため、ところどころ細くてバランスの悪い身体を変えるため、というのもあるし、ジム通いを習慣化することで、ジムの近くにあるカフェ=マクドナルドに行くことをセットで習慣化して、そこで勉強する習慣を作る、というもある。また、肉体労働をメインとする働き方をしているので、仕事に余裕を持たせるために、筋力をつけたいというのもある。それからいろんなところ(=本やツイッターや口コミ)で筋トレをした方がいい、筋トレは最強のLIFE HUCKだという声も筋トレする動機になっているし、友達に筋トレを習慣化している人が多いという人間環境も、筋トレする理由の一つになっている。

主に週3くらいで通っている。胸と三頭の日、背中と二頭の日、足と肩の日、という分割法で各日、各パーツを鍛えている。正直、不自然な身体の鍛え方だとは思う。自分の哲学とする「自然性」ともかけ離れているので少し居心地が悪い。が、とりあえず、ジムの哲学の方を優先させて、西洋的に身体を鍛えている。

(正直、身体の筋肉の例えば上腕三頭筋だけ限定的に負荷を与える、という身体の動かし方は普段の日常生活でするわけがないし、むしろ各筋肉に負荷を分散させて疲労を少なくして身体を動かす方が賢い身体の使い方であると思う)

自分の哲学とする「自然性」、と言ったが、自然は何もかも含んでいる神のような存在なので、自然性と言っても何も主張していない感がある。野生性と言った方が近いかもしれない。

 

 

何はともあれ、そうしてジム通いを始めて気づいたことがある。

それは、ジムに行くのは精神的にも肉体的にもしんどいけれども、いざやれば、筋肉を動かすことで血流が良くなったり、凝っていた部分がほぐされたり、汗を流すことによって、身体がかなりリフレッシュする、ということである。Active Rest=能動的休憩、というものだ。

今は筍掘りの季節で、4Kgくらいの重さの筍を掘る道具の”ホリ”を持って、ゆるやかに傾斜して粘土質の歩きにくく動くだけエネルギー消費する竹藪を歩き回り、”ホリ”を自在に動かして筍を掘る仕事をしている。

けっこう体力的にしんどい。疲労も溜まるし、筋力も使う。で、正直、ジムになんか行ってられるかい、という気分になってくる。

しかし、いざ実際にジムに行って、筋トレをしてみると、案外、身体はむしろ回復していく。疲労に次ぐ疲労が身体をむしばむのではなく、仕事では使っていない筋肉を使うことで、血流が良くなり、新陳代謝が活発になり、老廃物が取り除かれる感じがして、仕事の疲れの回復が早くなっているような気がしている。

これは、体感的に非常に正しいし、同じジムに通っている肉体労働者(元)にとっても共感する事柄みたいだ。

筋トレでむしろ疲労回復する説、は正しい仮説だと思う。

ケガには気をつけて、ジム通いをとりあえず、今年の10月までは続けたいと思う。

 

 

おわり

 

 

 

筍について

 

僕の知る限りでは、筍は、食べるものが少ない春の時期に食べるものとして、中国から輸入されたものである。

冬は野菜が育たないので、春のちょうど桜が咲いたあたり、筍が出る時期は、畑から収穫するものがない。だから、ハウス栽培がなく、季節の旬の野菜しか採れなかった昔は、筍だけが春に飢えをみたすものだった。中国から竹を持ち帰った僧の筍持ち帰り動機も、春に飢える人を救おう、というものだったと予想する。

 

一方、現代では、ハウス栽培が可能になり、季節に関係なく、野菜が採れるようになった。あるいは食料を他の国から輸入すれば、「冬明けに食べるものがない」なんてことはなくなる。そうして、筍はだんだんと食されなくなり、放置される竹林が増えて、放置竹林問題が生じることとなった。

つまり、筍需要減の敵は、一つには、ハウス栽培。一つには、海外からの食糧輸入である。しかし、海外からの食糧輸入という発想と、竹の海外輸入という発想は同根なので、そちらは批判に値しないと思う。海外輸入を批判すると竹の輸入も批判されなければならない。

日本の食料自給率が下がっている、というのは問題視されているが、2chひろゆきが外国から安い食料が買えるなら、外国と仲良くして安い食料を輸入すればいいのではないでしょうか、と言っていて、有効な反論を特に思いつかない。ただ、わざわざ遠い外国から運送コストをかけて、日本にまで持って来なくとも(主にアメリカやブラジルから来る模様)自国で作った方がなんとなく安上りな気がする。が、実際の経済の現実では、海外から時間と運搬車を使って日本に持ってきた食料の方が安い。なんでだろうね。海外の大規模、機械農業で人件費とか削ってるからかな。

 

 

筍はそうして、嗜好品になった。食べなくてもいいけど、好きだから食べる、というもの。しかし、嗜好品の中でもイチゴほどには人気がない。イチゴは老若男女問わず人気がある。甘いし、収穫から食までがかなり短いし、それなりに安い。

一方で筍は、味があるのかないのかよくわからないし、山のものだから収穫から下処理、調理と面倒で大変だし、「値段が高い」というイメージがある。そして年齢層としては上の方の人にしか需要がない。けっこう嗜好品の中でも人気はないのではないかと思う。明らかに衰退商品、Not売れ筋商品、という気がする。マーケット感覚からすると。

筍が戦える場所は、旬の野菜という旬フィールド、漬物や懐石料理などの和食フィールド、、くらいではなかろうか。筍はハウス栽培ができないから、食べようと思ったら春の時期しかない。そして春の時期にしか食べられないから保存という発想が生まれて、漬物になる。

 

書いていてふと思ったのだが、イノシシはけっこう筍が好きで筍がよくかじられている。で、豚もイノシシの親戚なんだから、豚のエサとして筍を与えたら、美味しい豚が育つのではなかろうか、というアイディア。どうだろうか。

 

 

おわり

 

 

 

 

 

今年、学びたいこと。ブラックホールの存在を予言した数式

 

 

「今年、学びたいこと」というお題で、ブログ記事を書く。

 

僕が今年、学びたいことは、「ブラックホールの存在を予言した数式」である。

 

ブラックホール」という言葉を聞いたことがない人はあまりいないと思う。

宇宙のどこかにある、「星」なのか、宇宙空間に開いた「穴」なのか、よくわからないもの、という認識ではなかろうか。

 

ブラックホールとは、極めて高密度で、強い重力のため、光さえもそこから脱出することができない天体(宇宙にある物体)である。

 

たとえば、地球と月の重力を比べると、月の重力は地球の1/6倍くらいである。

つまり、地球で体重60kgの人は、月では、10kgになる、という話である。

逆に、界王星(ドラゴンボールを読もう)だと、地球の重力の10倍なので、地球で60kgの人は、600kgになる。

 

当然、重力が重くなると、ジャンプしづらくなり、高く飛び上がりづらくなる。

それでは、もっともっと、重力が重くなると、ジャンプすらできなくなり、地面にへばりつくしかなくなる。

上に向かってピストルを撃っても、重力があまりにも強いと、すぐ下に落ちてきてしまう。

そうして、もっともっと重力が強くなっていって、光すらも上に上がっていけなくて、その星から脱出できなくなったもの、それがブラックホールである。

 

おおよそ、普通に生活している限りでは、出会うことのない星である。

 

 

 

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そのようなブラックホールは、今でこそ写真撮影に成功して(2020年のノーベル物理学)存在が認められたものの、最初は「数式を解いていたら見つかった理論上の存在」であった。

 

先に、数式でその存在が予言されて、後に実際に存在が確かめられた。

 

 

僕は、ここに非常に価値を感じる。

この世界はいろいろ複雑だけど、実は簡単な数式でできているんじゃなかろうか?という気にさせられるからである。

 

あるいは、数学者・岡潔が言っていた

最初、自分は物が心を作っていると思っていたが、今は心が物を作っているとしか思えなくなってきた

という言葉を思い出すからである。

 

この世界がどんな風に作られているのか?どんな風に作られている世界に自分は生まれたのか、という問いになんとなく部分的に答えられる感じがするからである。

 

ここに僕の学びのモチベーションがある。

 

 

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数式で存在が予言されて、後に実際に存在が確認されたのは、ブラックホールだけではなく、「海王星」もそうである。

 

太陽系の惑星で、もっとも太陽から遠い位置を公転している。(水金地火木土天海

 

その数式は、「ニュートン運動方程式」である。

 

ニュートン運動方程式

 ma = F

 

今回のブラックホールを予言した数式は、アインシュタイン重力場方程式と言われるものである。

 

数式としては、

 G_{\mu \nu} + \Lambda g_{\mu \nu} = \kappa T_{\mu \nu}

と、このような感じなるが、ちょっとこれだけだと何を求めたい方程式なのかわからない。

 

一つ一つ、この方程式の前提知識を学んでいって、「ブラックホールを予言した数式」を理解していきたいと思う。

 

 

参考図書は、

 

一般相対性理論を一歩一歩数式で理解する

一般相対性理論を一歩一歩数式で理解する

 

 

である。

 

 

これを学んだとしても、お金がもうかるわけでもないし、女性ウケもよくないし、そして男性ウケも全然よくないが、そんなことは一切気にしない。

 

 

かなり気にしていたけど、もう気にしない。

 

 

趣味は自己満足が目的なわけだから。

 

 

 

#今年、学びたいこと

#今年、学びたいこと
by Udemy

星空その1.夜空を見上げる

 

 最近、天体観測に興味が湧いている。

天体望遠鏡で、星を観測したいわけである。

 

キッカケ

金剛山登山

大学院のときの指導教官の先生と、

同じ院性室に属していた院生と一緒に、

大阪の金剛山という山に登山をしに行った。

 

そのときに、

先生との話題で天体観測というワードが出た。

 

あんまり深堀りするのも失礼なのかと思ったが、

ちょっとあまりに気になったので、

深く突っ込んでみた。

 

もともと、

その先生が100万円近くする天体望遠鏡を所有していることは知っていたが、

今の僕にはそれが非常に興味深いことへと変わっていた。

 

で、

いろいろと突っ込んで話を聞くと、

その天体望遠鏡では、

土星の環っかが見えたり、

木星の表面の模様が見えたり、

月のクレーター(月のクレーター一つ一つには既に名前がついている)

がはっきりと見えるらしい。

 

木星の衛星なども見えたりと、

かなり宇宙に浮かぶ天体のことがわかるようだ。

 

 

これはすごい!!

 

と思った。

 

これはすごい、

と思い、

僕も天体望遠鏡が非常に欲しくなった。

 

そして天体観測を非常にしたくなったのだ。

 

サイモン・シン『宇宙創成』

 

そう思ったのには、

やはりこの本も関係していると言わざるを得ない。

 

サイモン・シン『宇宙創成』である。

 

一応、

ブログ化もした。

 

「上」の3/4くらいしか読んでないけど。

(3/4読むだけでも人生の方針に影響を与えることがあるのだなぁ)

 

fuyuwatari.hatenablog.com

 

 ここで書いている通り、

『宇宙創成』では、

天動説から地動説へと立証されるプロセスが丁寧に描かれている。

 

非常に興味深く読んだ。

 

しかし、

結局はすべて他人の観測に基づくもので、

金星の満ち欠けも見たことないし、

木星の衛星も見たことないし、

火星も見たことないなぁ、

と思っていた。

 

これから見ることもないだろうなぁ、

と思っていた。

 

 

ところが、

である。

 

実際、天体望遠鏡を見て、

M何々星だの、

木星だの土星の環っかなどを見た人物がそこにおる!

 

しかも、

100万円くらいの金額なら、

天体望遠鏡を自分で実際に買うことも、

まあ不可能ではない!

ということに思い至り、

非常に天体を観測するやる気が湧いてきたのであった。

 

 

 

体験

 

有能なスマホのアプリ

とりあえず、図書館で

『夜空から始まる天文学入門 ~素朴な疑問で開く宇宙の扉~』

という本を借りて来たり、

 

天体観測をしている人のブログを読んでみたり、

Google先生に天体観測のことを聞いてみたりしていると、

以下の非常に優秀なアプリを発見した。

 

これはみなさんもインストールしてみてほしい!

https://apps.apple.com/jp/app/%E6%98%9F%E5%BA%A7%E8%A1%A8/id345542655

 

で、これを通して夜空を見ると、

そこに光っている星の名前がわかってしまうのだ。

 

で、さっそく、目立つ、

オレンジ色のような光を放つ星にかざすと、

「火星」

だった!

 

 

無知すぎる僕は、

火星って、肉眼でも見えるの!??

ってなった。

 

惑星って恒星じゃないよ?

 

自ら光を放たず、

太陽の光を反射してるだけなのに、

見えるの?

 

となった。

火星はけっこう近い模様。

 

 

 

、、、とまぁ、

そんな感じで

夜空を見上げることが多くなり、

 

オリオン座や御者(ぎょしゃ)座、

ペガスス座ペルセウス座

ふたご座、カシオペア座など、

 

様々な星座を覚えていっている。

 

基本的に、

光害の酷い日本では、

恒星で等級の高いものしか見えないので、

びっしりと星が見える場所に行きたいなぁ、

というのが、

最近の願望である。

 

 

具体的には、屋久島に行きたい。

 

 

 

知識

 

好奇心のある場所には、知識が宿る。

 

88の星座

 

世界の標準としては、星座は88コとされている。

 

星占いで登場する星座は、

黄道十二星座」と言われる星座である。

 

天球(検索してくらはい)において、太陽が通る道を黄道というが、その道を通る星座をそのように呼ぶ。

 

 

北半球からは見えない星座もあるので、

44コの星座を覚えられたらいいかなぁ、と思っている。

 

それから、xxx座のアルファ星やベータ星など、 

主要な恒星も覚えていけたらいいな、と思っている。

 

 

物理学

 

そして、(宇宙)物理学を使うともっとたくさんの深くて面白い知識が手に入りそうである。

 

天文学は、もはや、物理とは切り離せない存在になっている。

 

宇宙が膨張していることは、

「光のドップラー効果

などで確かめられるし、

 

海王星の発見などは、

ニュートン万有引力の法則があったからこそ、

可能になったことだ。

 

なんと言っても、星の存在がわかるのは、

「光」

のおかげである。

 

この「光」の性質が物理学的には非常に興味深い対象で、

「光」は電磁気学やら、相対論やらを生み出すキッカケになっている。

 

 

 

 2020ノーベル物理学賞

 

そして、2020年、ノーベル物理学賞は、

ブラックホールの撮影」と「あと裸の特異点の理論とか」に関して贈呈された。

 

もはや現代は、ブラックホールが撮影されてしまう時代へと突入しているわけである。

 

ブラックホールは、もともと、

アインシュタインによる一般相対性理論の方程式から、

その存在が予言された天体であった。

 

それが、この度、存在することが確かめられてしまった。

 

 

アインシュタインもすごいが、

やはり数学の力に、

目を見張るものがある。

 

 

僕も数学を学んできた者であるから、

ぜひとも相対論について学んで、

ブラックホールの存在を予言した数式と、

知り合ってみたいものである。

 

 

まとめ

 

 

夜空を見上げる、

ということから、

随分と話が飛躍した。

 

 

しかし、

宇宙はもはや、そう遠くはない世界になってきている。

 

地球の周りを星々が回っていると考えられていた時代からは、

随分と時間が経ったのである。

(ていうか、結局、アポロは月に行ったんですか?)

 

 

要するに、

そういうこの世界のことを、

もっと知っていきたいという知的好奇心を軸にして、

これから夜空を眺めて行ってみよう、

ということである。

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

入浴

 

お風呂に入るとき、

シャワーを浴びるとき、

した方がいいこと。

 

 

 

人生の意味を考えて、暫定的な解答を与える。

 

お風呂では、アイディアを思いつきやすい。らしい。

通常時の1.7倍。

 

 

人が人生の意味を感じやすい4つのこと。

 

 

 

1、目的

長期的でも短期的でもよい。

何かを達成するために生きている

 

 

2、価値観

自分の中で大切なものを追い求める、

こういうことに価値を感じるから生きている

 

 

3、有効性

自分が生きていることで、誰かの人生に役立っているという感覚

 

 

4、自尊

自分の中に、これはいいでしょ、と思えるものがある

 

 

#########

 

 

 

入浴の仕方

 

1、全身浴で

半身浴じゃないと効果がないということはない。

 

2、40度くらいの温度で

 

3、5~10分間

 

 

おわり

 

 

太陽を巡る話

 

現在、サイモン・シン『宇宙創成』という本を読んでいる。

 

中田敦彦YOUTUBE大学で、

サイモン・シンフェルマーの最終定理


【フェルマーの最終定理①】300年前に天才が残した数学界最大の難問

サイモン・シン『暗号解読』


【暗号解読①】人類の歴史を変えた天才たちのドラマ

の動画が配信されていて、

 

「そういえば、サイモン・シンの本を買って、読まずに置いているのがあったな」

と思い出した。

 

それが、

サイモン・シン『宇宙創成』だ。

 

 

宇宙創成(上) (新潮文庫)

宇宙創成(上) (新潮文庫)

 
宇宙創成(下)(新潮文庫)

宇宙創成(下)(新潮文庫)

 

 

 

サイモン・シンフェルマーの最終定理は読了していて、ものすごく面白かったのを覚えている。かなり面白かった。

 

自分が大学院のとき専攻していた楕円曲線というものがバリバリ使われるのもあってかなり興味深く読んだし、文体も非常にエキサイティングで随分と引き込まれたことを覚えている。

 

 

で、この『宇宙創成』を読んでいるのだが、これまた面白い。

 >あっちゃんもサイモン・シンにハマっているみたいだ↓


【宇宙①】人類最大の謎に挑む天才たちの戦い

 

 

本の「はじめに」で、

「天動説=地球中心説=地球が宇宙のど真ん中にあり、その周りを太陽や月やその他の星が回っているという宇宙認識」

が、どのように

「地動説=太陽中心説=太陽の周りを地球やその他の惑星が回っているという宇宙認識」

に変わっていったのか?

がかなり詳細に語られている。

 

 

現状、現代では「地動説=太陽中心説」という風に決着がついているが、

当時は「天動説=地球中心説」が正しいと信じられていた。

 

人間の事実認識とは?あるいは科学とは?知識とは何か?

ということが、臨場感いっぱいに、そしてIQ高く活写されていて、とても興味深く読める。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

今でこそ、地球は太陽の周りを回っているという認識・常識でとりあえず生きているが、その状況を僕らは実際に目にしたことはない。

 

地球が丸いことも、確かにGoogleEarthでは見たかもしれないが、実際に目にしたことはないわけで。

 

ふと、地球は太陽の周りを回っているって、ほんまにそうなのかな?

と考えてみると、

「地球が太陽の周りを回っているという証拠」は

日常生活のどこにも、見つからないことに気づいた。

大学生の頃に、ふとそう思った。

 

 

大学生の自分「え、、地球が太陽の周りを回っているってことは、今も僕の足の下で、この大きい岩の塊みたいな地球がすごいスピードで動いているっていうことだよね、、」

 

か、、考えられない。

 

「太陽の周りを地球が回っている」という事実を、

自分ごと

として受け止めてみると、

え、うそ、ありえない、、

そういう感じになった。

 

 

 

なんか、この地球が動いている、というのが、事実なのかもしれないが、全然、信じられなかった。

 

なんで、我々は、とりあえず「地球は太陽の周りを回っている」と思うことができているのか?という風に疑問を持った。

 

同時に、太陽の周りを回っているという風に考えられるようになったのはなぜか?という疑問もわいた。

 

そのときには、この疑問は解決されなかったけれども、今、ようやく、

サイモン・シン『宇宙創成』

でこの疑問が解決されようとしている。

 

いやぁ、素晴らしいっすね。

 

今、

アナクサゴラスというギリシャ人が提唱した太陽中心説を、

コペルニクスがさらに補強して、でもまだみんなには受け入れられなくて(というのは火星の軌道の予測の精度が地球中心説を使うよりも悪かったから)、

 

次にケプラーが義鼻を持つおっさん(ティコさん)のデータを借りて、惑星の軌道は真円ではない、楕円なのだ、っていうことを発見して、火星の軌道を精度よく予測した。

(どうも火星は他の惑星に比べて、楕円度が高いらしい)

 

でもみんなには、

「まあ、軌道計算には便利な太陽中心説だけど、計算がしやすいだけで、実際は地球が宇宙の中心でしょ?」

っていう感じになっていて、

 

地球中心説はまだまだ太陽中心説に取って代わられないなぁというところで!

 

いよいよ!

 

科学の父、

ガリレオ

が登場してきた。

 

 

ガリレオは、自前で望遠鏡を作り、それで、宇宙を観測した。

 

そして、まず、木星に衛星(地球にとっての月のようなもの)があることを発見して、すべての星は地球を回っているということを反証して、

 

さらに、金星に満ち欠けがあることも観測して(地球中心説だと、この現象は説明突かない)

 

理論的、合理的には、太陽中心説が正しい、ということで決着がついた。

 

 

そして、太陽中心説が、世の中に広く認められるようになったのは、

地球中心説を唱える老害たちが死んでしまってからだった、とさ。

 

ガリレオ・ガリレイを裁判に追い込み、

「それでも地球は回っている」と言わせて、

ふんぞりかえっていた老害が死ぬことで、

新しい理論は受け入れられていったわけ、、、なのだぁ。。。

 

 

へぇ、、、。

 

 

 

 

なるほど。

火星の軌道やら、月の満ち欠けやら、木星の衛星やら、

たくさんの天体観測

(午前2時踏切に、望遠鏡を担いでった、ベルトに結んだラジオ

雨は降らないらしい♪)

 

によって、

地球は太陽の周りを回っているということが、

理解されたんだなぁ、、、。

なるほどなぁあ。

 

でもやっぱり実際に、天体観測したことのない僕には、

あんまり地球が太陽を回っているという実感はやっぱりないなぁ。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

種籾おろし、育苗シート

 

小学生くらいの頃から子供の日が近づくと、種籾おろしというものをする。

 

種籾おろしとは、籾(稲の種である)が発芽して、苗になるまで育てるために、
籾を土の上に撒いて、その上に土を撒くというものである。

 

 

非常に単調な作業で、疲弊したが、なんとか終了した。

 

 

やはりタケノコ堀りのおかげで腕っぷしが強くなっており、例年に比べて、種籾おろしは楽であった。

 

 

そんなわけで今年も種籾おろしが終了した次第である。

 

 

後日、苗代(なわしろ)に、種もみの板を並べてきて、
上に育苗シートをかぶせて、
泥で固定して、
ひと仕事おしまいって感じなことをしてきた。

 

 

育苗して、
それなりの大きさに育ったら、
いよいよ田んぼに植えていく、といった感じである。

 

田植えの時期が近付いている、ということになる。

 

タケノコが終わって、ホッと一息。
 (タケノコはまだ出ているみたいだが)

 

このあと、
伸びた竹の「伸止め」をして、
(去年の記事http://mak1war1.seesaa.net/article/465634998.html?1589108398

お礼肥え(たくさんのタケノコを産んで疲弊した竹にお礼として栄養を上げるという作業)をして、
夏の間は延々と雑草と戦うことになる。

 

 

人間の生活とはこんなものなのだろうか。

 

 

 

 

 

難しくなってきた数学に対して

 

現在の科学技術の発展の裏には、

その土台となる科学の発展があり、

その科学の土台となる数学の発展がある。

 

数学は、日常、普通に生きていたら

(普通に生きる、というのは、朝起きて、歯磨いて、朝食とって、新聞読んで、会社に行って、PCの前でカタカタとなにがしかを打って、同僚と会話して、上司と会話して、よく知らない人と会話して、会社を出て、友人やら恋人やらと飲みに行って、家に帰って、スマホのゲームして、明日の準備して、Youtube見て、寝落ちして、また朝起きる、というような生活を意味する)

数学という学問に触れる機会はほとんどない、

というのが自分の実感である。

 

 

だから、数学の発展などを意識することはほとんどないし、

基本的には有理数体での四則演算ができれば、日常生活で困ることはほとんどない。

 

が、数学はめちゃくちゃに発展していて、非常についていけない事態となっているというのが、実情である。

 

 

数の世界は人間の歴史とともに、

自然な数の自然数から、整数、有理数無理数、実数、代数的な数、超越的な数、複素数、代数的な整数、有限体の数、 p進数、、などなどと、 

拡張してきた。

 

 

今、ちょうど、 p進数あたりをしている。

 

 

数の世界は広くなり、それとともに、図形の概念も変わっていっており、

大変に大変なことになっている。

 

数学の世界観とやらは複雑で、広範で深遠(遠すぎる)ものになっていっており、

おもしろくもなっていて、

だからこそ、こうして難しい数学に頭を悩ましているといった状態なのだが。

 

 

 

開拓者の精神を持つしかないな。

 

 

数学ガールの著者の言う、「理解の最前線」にまで、足を運び、

「ここまでわかり、ここからわからない」の「ここ」を明確化して、

「ここ」をわかる努力をする、

それを繰り返す、

ということをしていく他はないのだろうなぁ。

 

 

赤ちゃんが、身の回りのものを口に入れたり、手で触ったり、ごちゃごちゃと触れ合っているうちに、そのものを認識するような形で、認識を深めていく他はないようだ。

 

 

今まで

「今まではわからなかった概念」をどんどんと学び、

世界観を広げてきた。

 

その世界観が広がる感じが

中々に好きであった。

 

こんなものがあるのか、という驚きというか、興奮というか、

WAO!

って感じが良かった。

 

ので、それをまた味わいたい。

 

ので、考えていこう。

 

という感じになる。

 

 

 

 

 

26の話と数学をしているという話

 

 

 

 

26の話

今から26の話をする。

 

私は現在のところ、25歳である。

あと少しすれば、26歳となる。

 

26という数の話をする。

 

 

平方数

 

平方数の定義をする。

 

平方数とは、ある整数の2乗になっているような数のことをいう。

 

正の整数 nが平方数であるとは、

n=m^2となる整数 mがある、ということ。

 

たとえば、

  • 4
  • 9
  • 144
  • 25
  • 100

などはすべて平方数である。

 

なぜなら、

  •  4 = 2^2
  •  9 = 3^2
  • 144 = 12^2
  •  25 = 5^2
  •  100 = 10^2

だからである。

 

 

立方数

 

立方数の定義をする。

 

立方数とはある整数の3乗になっているような整数のことである。

 

正の整数 nが立方数であるとは、

n=m^3となる整数 mがある、ということ。

 

たとえば、

  •  27 = 3^3
  •  8 = 2^3
  •  64 = 4^3

などが、立方数である。

 

 

では、問題。

 

12は平方数、あるいは、立方数か?否か?

 

 

答え。

 

平方数でも、立方数でもない。

 

なぜなら、 12 = 2 * 2 * 3であり、平方数の定義、立方数の定義、どちらにもそぐわないから。

 

26の話

 

 26は、実は、

立方数と平方数に挟まれる整数である。

 

...25 26 27...

 

と数は並んでいて、

  •  25 = 5^2
  •  27 = 3^3

である。

 

26は平方数25と、立方数27に挟まれている

 

 

 で、実は、平方数と立方数に挟まれる整数は、「26」ただ一つである。

 

平方数と立方数に挟まれる整数は、「26」ただ一つである。

 

この事実を僕はどこで知ったかと言うと、

ネットに落ちていた記事で、数学科の学生がもしも合コンしたら、、

みたいな記事があって、

 

学生「君たち、何歳?」

女子「26歳!」

学生「26なんだ!平方数と立方数に挟まれる唯一の歳だね」

女子「しら~~」

 みたいなことが紹介されていたことで知った。

 

 

 今年、26歳になる僕は、

 

平方数と立方数に挟まれる整数は、「26」ただ一つである

 

 ということを証明することに決めた。

ただ一つである、ということの証明がかなり難しい。無限にある数を持ち出して、これは違うなぁ、としなければならない(例えば、コンピュータなら))

 

 

 

で。

 

 y^2を平方数、 x^3を立方数とすると、

この二数の差が、「2」になれば、いいわけなので、

(実際、27-25=2である)

 

 x^3 - y = 2

 

という方程式が成り立つ (x , y)を見つけようという話になる。

ただし、 x, y はどちらも整数。このような点 (x, y)整点という。

 

 

上記の式を移行した式

 y^2 = x^3 - 2

 

は、楕円曲線という図形を定義する方程式(つまり、この式をみたす点 (x, y)を平面上にプロットしていけば、ある図形が浮かび上がり、その図形は、楕円曲線という名前の図形である、ということ)となる。

 

 

というわけで、楕円曲線を学んでいこう、となったのだが、

 

 

平方数と立方数に挟まれる整数は、「26」ただ一つである

 

 を証明するには、代数的整数環の話が分かっていればよく、楕円曲線の知識までは必要ではなかった、、、(;^ω^)

 

 

がふ。

 

 

26歳まであと数ヶ月くらいはあるから、

大域体上での楕円曲線を学び、そのためには局所体上の楕円曲線を学び、そのためにはそもそも局所体を学び、局所類体論を学び、、と長い道のりになるのかと思っていたのだけれども、

案外そうでもなくて、

ちょっとガックシ来ている節もある。

 

 

ある一つの事実だけを証明するのであれば、あまり、大きな理論体系といったものは必要ないのかもしれない。

理論体系が必要ないのであれば、それに伴う数学的世界観も必要ないかもしれない。

 

なぜ、数学の理論体系を学ぼうとするかと言うと、その理論が語る数学的世界観を脳内に構築して、楽しみたいからだと思う。

 

ディズニーの映画をたくさん見て、ディズニーの世界観に浸って、私もいつか白馬に乗った王子様と巡り合うんだぁと思い込んで、しみったれた現実を生きる張り合いを手に入れたい、みたいなそんな感じに近いのだろう。

 

だから、理論体系を学ぶ。

 

 

だから、

平方数と立方数に挟まれる整数は、「26」ただ一つである

 という事実は事実として、置いておいて、

 

もっと大きな事実

楕円曲線の整点は、有限個である

という定理を証明することを目指してみようかと思っている。(難しいから普通に挫折する可能性が高い)

 

有理数体上の楕円曲線とp進数体上の楕円曲線、有限体上の楕円曲線、、そのいろいろな数世界の上での楕円曲線の振る舞いを学ぶ必要がある。

 

とにかく、楕円曲線は奥が深い。

 

 

 

 

 

 

野菜とかについて、いろいろ

 

春になり、畔(あぜ)には様々な種類の花が咲いている。

 

雑草も伸び放題である。

「雑草」とひとくくりに呼ぶことをやめて、解像度を上げて、

一つひとつの雑草を注意深く見ていくと、

本当に様々な植物が、いろんな葉の形、茎の生え方、葉脈の流れ、花、種で生きていることがわかる。

 

もう、ため息が出るほどに、多種多様であり、元気いっぱいである。 

 

まだまだ植物の顔と名前が一致していないけれども、

徐々に一致してきているものの、

どんどんと新しい植物を目にするというのもあり、

ひたすらに追いつけないでいる。

 

 

 

野菜も植物である。

 

トマトは、主要な茎から枝分かれした枝の分かれ目の脇から枝を出す。

 

ほんとうに人間の脇みたいなところがあり、そこから、芽を出して、枝を育てていく。

 

で、その脇芽を取らないといけないらしい。(なぜだろう?)

 

で、取った。

 

取るとき、親指の爪で切断したのだが、

親指の爪の匂いを嗅いでみると、しっかりとトマトの匂いがした。

 

 

 

野菜も植物である。

 

ゴボウの葉っぱってどんなんか知っていますか?

 

ゴボウの葉っぱは、新聞紙くらいでかい!!

 

W gobou4031.jpg

こんなにでかいんですかぁ、、ってくらいにでかくて、驚いた。

すげーってなった。

 

 

 

野菜も植物である。

 

玉ねぎは収穫できるくらいに育つと、玉ねぎの上部のネギみたいなところが、

コテンと横に倒れる。(なぜだろう)

 

それが収穫期のバロメーターとのことらしい。

 

引っこ抜け!

 

 

 

 

ま、そんなところかな。

 

あといろいろな植物の写真↓

 

f:id:fuyuwatari:20200510145901j:image

 

↓これは「カラー」という名前の花らしい

f:id:fuyuwatari:20200510145904j:image

 

なんだか、葉っぱからして上品な光沢を帯びていて、気品を感じる。

花弁の形は僕らが普通抱く花のイメージとは違って、なんとなく左右対称で、パリコレでブロードウェイを歩くモデルが来ている斬新なファッションみたいな感じだ。

 

えろくもある。

 

当たり前のように佇んでいるので、ふと見ると見過ごしてしまいそうで、実際そんなに注意深くは見ていなかったのだが、

いま改めて描写しようと思って眺めると、なるほど面白い形をしているのであった。

 

 

↓ナスの花

 

f:id:fuyuwatari:20200510145946j:image

 

 

 

【竹】『竹炭は効く』を読みながら

 

 

前に、

モキ製鉄所

無煙炭化器

を購入して、

竹藪の竹を炭化している。

 

 

いわゆる

竹炭

を製造している。

 

全然質のいい竹炭はもちろんできないのだが。

 

製造しているだけに、現在は留まっていて、販売には至ってない。

とにかく商品づくりをしているといった感じである。

 

欲しい人はコメントください。

 

 

 

竹炭づくりも、

すぐにして、すぐに成功するものではなくて、

ある程度の試行錯誤のようなものが必要で、

 

何度かの試行錯誤を経て、

なんとか、それなりに

竹炭らしい竹炭を製造することができるようになった。

 

 

しかし

以下のような綺麗な竹炭が作れているわけでもない。

https://www.taketora.co.jp/fs/taketora/su00189

 

 

今、僕が製造している竹炭は

どれほどの効果があるのかは、

今のところそんなにわかっていない。

 

土壌改良効果やら、

水質浄化作用や、

消臭効果やらが

あるらしいのだが、

実験したわけでもないし、

まだ確証は得られていない状況。

 

しかし、

この『竹炭は効く』

竹炭は効く

竹炭は効く

 

 という本を読んでいるのだが、

竹炭はかなり効果的な代物らしい。

 

 

 

 

ざっくりと言うと、

竹炭には、

無数の様々な大きさの直径のパイプのような穴が開いていて

1gの竹炭で表面積がたたみ数畳分もあるらしい。

 

そのパイプのような孔(あな)に

多種多様な微生物が住み着くことで、土壌改良やら水質洗浄ができたり、

その穴に悪臭の成分が吸着することで消臭効果があるらしいとのことである。

 

 竹炭の効用の理路はそんなところである。

 

 

 

竹の主成分は、

らしい。

 

珪酸成分が多いらしい。珪素はガラスの成分になっているものだ。

珪素Siが多い竹は確かに、燃焼して炭になると、シャリシャリと砕けたガラスみたいな感じになる。

 

あとは、いろいろと、ごにょごにょとした物質でできているらしい。

 

 

聞きなれない「リグニン」は、

木質素

とも言われ、植物の「木化=木と化すこと」に寄与するとのこと。

 

3次元網目構造をしている高分子で、その具体的な構造はまだよくわかっていないらしい。

 

植物が陸上に上陸して、立ち上がるときに、

ヘミセルロースセルロースをくっつけるために、リグニンが必要とされたらしい。

 細胞壁細胞壁の間に沈殿して、細胞同士を癒着しているらしい。

 

へー、なんか面白いな。

 

セルロース

繊維素

とも呼ばれ、食物繊維の主成分らしい。

地球上にもっとも多く存在する炭水化物らしい。強い。

 

セルロースは多数のβ-グルコース分子がグリコシド結合により直鎖状に重合した天然高分子である

 

とウィキに書かれていたが、高校までで習った化学の知識でわかりそうで、わからない。忘れたなぁ。

 

 

ヘミセルロースに関しては、

後で、この記事

http://wood.boy.jp/index.php?%E6%9C%A8%E3%81%AE%E6%A7%8B%E6%88%90%E6%88%90%E5%88%86

を読むか、本買って調べよ。

本がいいよなぁ。

 

 

 

それから、竹の性質の話も載っていた。

 

竹の成長が早い理由としては、数ある節のそれぞれで細胞が増殖し、成長するので、

全体で見ると、節のある分倍で成長する、ということらしい。

 

確かに。すごいな。

 

一日で1メートル近くも成長するらしいので、この生命力には感服するほかない。

 

生命力と言えば、

ベトナム戦争で、森に枯葉剤が撒かれたときにも、他の植物は枯れたのに、孟宗竹だけは生き残っていた、

とか

広島に原爆が落とされたときに、残っていた唯一の植物があって、それは竹だった、

とか、

 

竹の生命力、どげんかしよんばいかん

 

と思わず方言になってしまうくらいに、えらいもんなのであった